日誌

「高松歴史街道」ポイント紹介②

「旧能登街道 宿場町」

 口銭場があったことが示すように、藩政期には旧高松町から宝達志水町の宿を通って能登へと至る街道がありました。高松の駅(うまや)はその要衝として多くの宿が並び、能登と加賀を往来する旅人で賑わっていました。その家数は寛政10年(1798年)には160軒、安政2年(1855年)には439軒と、その増加率は津幡の駅(うまや)を凌ぐほどであったといいます。のちに高松は商工業の町として大いに栄えることになりますが、その原点は藩政時代の宿場にあったと考えられています。南町・中町・上北町と呼ばれる町内会の大通りは能登街道の宿場町として賑わっていた頃の面影を残しています。 (かほく市ホームページより)