日誌

「高松歴史街道」ポイント紹介①

「桜井三郎左衛門(さくらいさぶろうざえもん)銅像(高松産業文化センター横)

 

 桜井三郎左衛門は、天正12年(1584)に越中国(現在の富山県)の大名佐々成政が、現在の宝達志水町にある末森城を攻めた「末森の戦」の時、救援に向かっていた加賀藩祖前田利家を現在の宇ノ気周辺で迎え、敵軍が川尻村(宝達志水町)で利家がやってくるのを待ち構えていることを伝えました。そして、三郎左衛門は海岸沿いから密かに利家の軍勢を誘導し、今浜(宝達志水町)付近まで案内をしました。これにより利家は末森城を危機的状況から救うことができ、勝利のきっかけを作ったということで利家は三郎左衛門に褒賞を与えることにしました。三郎左衛門は褒賞として、「村の地子銀(宅地税)を末代まで免除してほしい」と願い出、利家はその願いを快く承諾しました。そして、それ以来、明治8年(1875)に租税制度が改正されるまで300年余りの間、村民はこの恩恵を受けることとなったといわれています。

(かほく市ホームページより)