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2021年6月の記事一覧

「高松歴史街道」ポイント⑤

鶴 彬 句碑(歴史公園内)

         

鶴 彬(つる あきら)本名:喜多 一二(かつじ)は旧高松町出身の川柳作家です。

 彼は8歳の頃に父を亡くし、その後叔父の養子となりました。仕事を終え読書にふける日々を送っていた彼は、読書で得た知識を通して自分の思いを言葉で表現してみたいと考えるようになり、川柳を作るようになりました。

 川柳に熱中した彼は、地元新聞の柳壇を独占する勢いで作品を創作するようになり、高い評価を得ましたが、一方で反感も持たれることとなりました。不景気の影響によって生活に窮した彼は大阪に出て働き、その頃から鶴彬の号を使い始めます。

 鶴彬は、川柳雑誌『川柳人』上で発表した作品が反戦的であるという理由で警察に連行され、その取調べ中に赤痢を患い、昭和13年に息を引き取りました。享年29歳でした。

 鶴彬は、日本が軍国主義に邁進していた時代にその社会的矛盾を風刺した川柳を発表したことから、一般的に「反戦」の川柳作家という評価が強調されています。しかしながら、無力な人々の心の救いを川柳に見出そうとしたことや、格下に見られていた川柳を大衆のための文芸に引き上げようとしたことも非常に高く評価されています。 

 この句碑は昭和47年に鶴彬の友人や同級生などの有志の手によって、高松児童公園に建立され、その後歴史公園に移設されたもので、「枯れ芝よ団結をして春を待つ」が刻まれています。

(かほく市ホームページより)

 

 高松小学校では、毎年「鶴彬を顕彰する会」のご協力により、講師をお招きして鶴彬さんについて6年生が学んでいます。