日誌

【校長室より】努力する人は希望を語る、なまけものは不満を言う

 10年ほど前の勤務校で書いた「学年通信」を偶然見つけました。当時の自分が生徒に何を求めていたかが、蘇ってくるようです。そして、当時の生徒の顔も。「学年通信」の記事を抜粋して下に載せてみました。

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「努力する人は希望を語る、なまけものは不満を言う。」

 

 見出しは先日、出勤途中の車でラジオから聞こえてきたフレーズです。なるほど、当たっているかもしれません。前号で目標に向かってひたむきに努力する姿は美しいと書きましたが、希望も語るから輝いているのですね。

 話は変わりますが、3年生の小論文の指導をしている中で、下の文章を見つけました。某大学で出題された上田紀行氏の「生きる意味」の抜粋です。耳が痛くなる話です。肝に命じておいて下さい。

 

 数年前、私の教えている東工大で留学生向けの講義を受け持ったとき、「日本の大学のどこに一番違和感を感じたか?」と聞いたことがある。その答えにびっくりした。ひとりが「学生が授業中寝ていることです。」と答えたところ、皆が「そうだ、そうだ」と大きくうなずいたのである。「どうして大学生が教室で寝ているんですか?それでも大学生ですか!」と言うのだ。

  ・・・・・・・(中略)・・・・・海外からの留学生にとってショックなのは「大学生にもなって教室で寝ているあなたには、大学生としてのプライドがないのか?」寝ていたら先生から怒られ、成績が下がるならば寝ない。友達から非難され最低人間だと思われるのなら寝ない。しかし、そうした「人の目」がなくなれば寝てしまう。しかし、「人の目」がなくなっても「自分の目」から見て教室で寝ることは大学生として恥ずかしいことだと思わないかと留学生たちは問うているのだ。

 ルース・ベネディクトは「人の目」から非難される「恥」を強く意識する日本文化を「恥の文化」と呼んだ。しかし、彼女はもうひとつの「恥」を見落としていた。それは「私としたことがこんなことをしてしまうとは!」という「自らを恥じる」という恥である。誰からも見られていなくても、恥じる。・・・・・・・(中略)・・・・・日本人の倫理観は単に自分の周囲の「人の目」だけではなく、先人たちや恩師たち、そして自分自身に対して恥ずかしいという感覚にも支えられていたのである。

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 上記の文中の「大学生」を「高校生」に置き換えて、自問自答してください。

 来週(10月8日)から2学期中間考査です。真剣に向き合い、プライドを持って、前回の自分を超えてください。