ふるさとプレコン最優秀賞!
地震から 712 日目
「ふるさとプレゼンコンテスト」に
参加してきました
場所は KANDA SQUARE
開始までしばらく時間がありましたので
じっとすることと
長い話がことのほか苦手な私は
例によって
会場付近をうろちょろするのでした
上野東照宮へ行ってみました
家康危篤の床に呼ばれた
藤堂高虎と天海僧正
「末永く魂鎮まるところに祀ってほしい」
との遺言に則って建てられたのが
ここ上野東照宮です
元々は藤堂高虎邸敷地だそうです
こちらは国指定重要文化財の『唐門』
日光東照宮『眠り猫』で有名な
左甚五郎(ひだりじんごろう)作による
昇り龍・降り龍の彫刻が左右にあります
偉大な人ほど頭を垂れるということから
頭が下を向いている方が
昇り龍なんだそうです
諫鼓鳥(かんこどり)の透かし彫りも見れます
これは中国の皇帝が門の前に太鼓を置き
政治に誤りがある時は人民にそれを打たせ
訴えを聞こうとしたけど
善政のため打たれることが無く
太鼓の台座は苔生し
鶏が住みつくほどであったと言う話が
基となっています
まさに家康が築いた300年に及ぶ
戦のない
泰平の世の中を象徴しています
「閑古鳥が鳴く」
の由来になったとも言われています
大きな銀杏の木があちこちに
銀杏の木は燃えにくいので
防火のために植えられたのだそうです
防災意識高いですね
国立西洋博物館では
オルセー美術館所蔵
「印象派」特別展が開催されていました
オルセー美術館は
パリ万博の際に建てられた
会場への終着駅だったんだそうです
大阪でいうと「夢洲」駅
みたいなもんですね
印象派とは
19世紀後半にフランスで生まれた芸術運動です
カメラの発明がその契機となっています
画家たちにとって死活問題だったでしょう
「カメラによって職業が奪われる」
ちょうど現代の我々が
「AIによって職業が奪われる」
と危惧しているのと似ています
AI時代を生き抜くヒントが
『印象派』の絵画にあります
こちらはドガによる『家族の肖像』
当時身を寄せていた叔父一家です
叔父の事業の失敗により家族は不仲
一堂に会することなどなかった家族
ひとりずつ個別にデッサンを重ね
一枚の絵に仕上げ
当時の家族の間に流れる不安を
見事に描き出しています
これなどは
当時のカメラにはできない
それこそヒトでないとできない
まさに芸術です
『印象派』の名称は
モネの《印象、日の出》がきっかけで
当時のカメラでは表現しきれない
光と色彩を重視したものです
これまでの絵画が担ってきた
「現実を写す」役割は
これからはカメラがやってくれる
明るい色彩や大胆な構図を取り入れ
「光と瞬間的な印象を捉える」
ことを目指した芸術活動が
近代美術の幕開けを告げたのです
『印象派』には日本の芸術も
大きな影響を与えています
こちらは『マネ』による
『エミール・ゾラ』
懇意にしていた美術評論家を描いたものです
背景には浮世絵が見えます
他国の文化を積極的に取り入れ
新しいものを生み出しているのも
『印象派』の特徴です
来年
本校からパリ研修に出かけます
ぜひオルセー美術館も
見てきて欲しいと思います
オルセー美術館は
古典芸術を集めたルーブル美術館と
現代アートの殿堂ポンピドゥー・センターを
繋ぐものといわれています
プレゼン大会はというと
全国から予選を勝ち抜いた
小学生から3組
中高校生から4組
大学生から3組の
ノミネートがありました
本校教諭 寺田 知絵 先生が
開会挨拶を務めました
電気が復旧するのに4ヶ月
水道が復旧するまで8ヶ月
かかったんですと
そのつらかった生活の話をすると
言葉につまり
会場の皆さんも目頭を押さえていました
いつも笑顔の寺田先生
こんなに辛い毎日を乗り越えていたんです
本校から
2年生の
平 愛結奈 さん
大岩 楓 さんが
「輪島が生きる」と題して発表しました
千枚田そして輪島塗に
輪島の復興をかけるみなさんのことを
紹介しました
多くの方々の感動を呼び
最優秀賞をいただくことができました
出張のたびに
これまで遠くからご支援くださった方を
順番に尋ね
直接ご挨拶を申し上げています
昨日は
発災後真っ先にご連絡くださり
地震避けのステッカーを
送ってくださった
東京で小学校にお勤めの
毛利 泉 先生を尋ねました
いただいたステッカーは
先生が師事されている
寄席文字書家「橘右之吉(たちばなうのきち)師匠」
によるもので
輪島高校避難所のあちこちに
貼らせていただいていました
なんだか遠い昔のことのようです
まだご挨拶できていないみなさん
申し訳ございません
いつの日か行きたいと思っております