いざ鳴門へ
地震から314 日目
豪雨から50 日目
明日開催される
鳴門教育大学の大学祭「鳴潮祭」にお招きいただき
「学校が避難所になったら
〜能登半島地震からの教訓〜」
と題して講演をさせていただけることとなりました
同学の阪根ゼミ
おもちゃの王国プロジェクトの皆さんは
被災地にお越しになり
子どもの居場所づくりのために
レールブロックを寄贈くださり
その使い方もレクチャーしていただきました
「街プロ」のグループのひとつが
活用させていただいています
昨夜は途中大阪で1泊して
OECD「教師生徒サミットinパリ」に参加する
生徒のみなさんと
オンライン会議をしました
ホテルの窓からの景色です
ここも大阪の陣で焼き尽くされた場所です
こんなに見事に復活
この景色を
秀吉や淀君がご覧になったら
どんなふうに思うのだろう
被災後日本各地から招待され訪れるたび
こんなことばかり考えるようになりました
歴史の大きな流れの中
そこで生きてきた方々に
思いを馳せることが本当に多くなりました
歴史を勉強し直したいと
この歳で学ぶことの本当の楽しさを
再認識しています
同じことを生徒たちも
一人ひとりがしっかりと考えるように
なってきていると思います
発災前は先生方に
「授業中寝ている生徒を起こしていると
他の生徒の学びの時間を奪うことになるから
起こす必要はない
自分が教室に入って起こして回るから
それよりも生徒が寝ないような
魅力ある授業作りをしてくれ」
と日頃話していました
授業中寝ている生徒を
起こして回るのが校長の仕事でした
それだけ実は授業中寝ている生徒が
多かったのです
ところが今は授業中寝ている生徒はゼロです
集会でもうつむいている生徒がいません
全員がしっかりと顔を上げて
話す人の顔を見ています
発災後しばらく気を遣っているのだろう
と思っていたのですが
もう一年が経とうとする今でも
その様子は変わりません
つらい思いをして
学ぶことの本当の意義を
一人ひとりが考えるようになったと
そう信じています
高速バスで鳴門へ向かいます
車窓からは神戸の街並み
ここも奇跡の復活を遂げた都市
犠牲になられた方に心の中で手を合わせ
明石海峡大橋を渡って淡路島に入ります
淡路島は洲本市に入りました
どこかで聞いたことのある
懐かしい匂いのする地名だなとしばし熟考
思い出しました
確か私が大学生の頃流行った
ファミコンのRPG「なんとか殺人事件」
の舞台となった場所です
当時家庭教師として勉強を教えていた子が
一生懸命語ってくれました
だから懐かしい匂いがしたんですね
そのゲーム何て名前だったかな?
車窓いっぱいに広がる畑
今は時期が違うかもしれませんが
淡路島は玉ねぎの産地
私も一度いただいたことがありますが
本当に大きくて甘いんですよね
播磨灘・大阪湾・紀伊水道
3つの海に囲まれた淡路島
海のミネラルを豊富に含んだ
肥沃な土壌で育てられた玉ねぎは
甘さと栄養分がギュッと凝縮しているそう
眼下に渦潮が広がります
もうすっかり日も暮れてよく見えないので
明日帰りにしっかり見ようと思います
苦しいときこそ笑わなあかん!
今日の「大阪人の格言」
『下向いても地べたしかないぞ』
【意味】落ち込んでもいてもしょうがない
エラーした阪神の選手に向けられた
「さっさと顔上げんかい!
いつまで甲子園の土見とんねん?
プロのくせに持って帰る気か!」
大阪のおっちゃんのヤジはおもろいです