始業式で話そうと思っていたこと
1月9日に始業式を行うことができるのか
できたとしても全員揃うのは
難しいだろうから
始業式で話そうと思っていたこと
ここに記します
今日はたしか箱根駅伝の復路の日
それどころではない輪島市では
どこの第六走がトップで箱根の山を下るのか
確認しようもありませんが…
箱根駅伝は1920年に始まって
今年で第100回
1923年に創立した本校も
今年創立100周年
あれあれ?
3年のずれが?
そう
箱根駅伝には
途中3回の中止の歴史があるのです
日本が中国に戦争を仕掛けた昭和14年
東京師範学校(現在の筑波大学)の選手のもとに
召集令状いわゆる赤紙が届きます
召集令状とは
戦士として戦場に赴けという命令であり
受け取った方の中には
君たちとそう年の変わらない方も…
多くの若者が特攻隊として
「靖国で逢おう」を合言葉に
敵艦に体当たりして
若い命を散らしました
靖国神社とは
坂本龍馬や西郷隆盛
この国を作るために
命を落とした方々を祀った神社で
戦争で亡くなったら英霊として
その神に招かれると
信じられていたのです
山下りを得意としていた彼は
第六走つまり2日目の第一走を
走ることになっていました
ところが召集令状の命令は
まさにその2日目までに
熊本まで来いというもの
自分の夢であった箱根は走りたい
でも軍の命令は絶対
箱根を走るのは不可能に思えますが
ある工夫によって
夢であった箱根を走り切ります
その工夫とは…
どうしても箱根を走りたかった彼は
急きょ第一走と交代し
襷を渡したあとそのまま
熊本行きの列車に飛び乗り
戦地へと赴いていったのだそうです
その出来事の翌昭和15年
箱根駅伝の中止が軍部から申し渡されます
ここは戦争に必要な物資を運ぶ重要な道である
兵隊さんがお国のために戦っているときに
そこを走るとは何事か
結局昭和17年までの3年間
箱根駅伝は開催されませんでした
ところが箱根を走りたいという選手の熱意が
昭和18 年ついに軍部を動かします
戦禍が激しくなって来ている中
そんなことは不可能に思えますが
大会の運営方法に工夫を加えることで
箱根駅伝が復活します
その工夫とは
スタート地点とゴール地点を
靖国神社に変更したのです
我々はお国のために走るのです
靖国を飛び立ち
そして靖国へと帰って行くのです
そう軍部を説き伏せたそうです
どんなに困難な場面であっても
工夫次第で道は拓ける
箱根駅伝にまつわるふたつの話は
このことを教えてくれています
今輪島市は復興に向けて歩き始めました
道のりは遥か遠いけれど
工夫を重ね歩んでいきましょう