鳴門紀行

地震から315 日目

豪雨から51 日目

 

鳴門教育大学に招かれて

講演会をしてきました

 

 

 

 

 

 

鳴門教育大学は1981年に創立された

教員養成のための大学で

教員就職率全国トップを誇ります

大学院生の4分の1が現職教員で

今回の講演にも

多くの現職教員の方が参加してくださいました

その学ぶ姿勢に尊敬です

 

 

 

 

 

 

招聘してくださった阪根教授のゼミ生は

今回の被災に際して

現場まで視察と支援に来てくださり

その際設置してくださった

「おもちゃの王国」を

再現展示してくださっていました

 

オンライン授業用のスタジオもありました

 

 

 

 

 

 

奥能登5高校の復興再建には

教員不足の解消といった大きな問題が

立ちはだかっています

物理化学生物地学あるいは

地理日本史世界史

さらには音楽美術書道

全ての学校に

全ての科目の教員を配置することが

極めて困難です

オンライン授業をうまく取り入れながら

その解決を図っていくことが求められます

このようなスタジオを

各校に設置していくことで

新しい時代の教育のスタイルが

構築できると感じました


帰りのバスまでの待ち時間に

鳴門の渦潮を見にいきました

 

 

 

 

 

 

太平洋が満潮になると

紀伊水道を通って

淡路島の北東側つまり

大阪湾に海水が流れ込みます

 

その海水はさらに

明石海峡を通って

淡路島の北西側

つまり瀬戸内海へ

 

ここまで到達するのにおよそ5時間かかります

この頃には太平洋は干潮を迎え

水位が低くなっているので

瀬戸内海に流れ込んだ海水は勢いよく

淡路島の南西

つまり鳴門海峡を通って

太平洋へと還って行きます

 

これが渦潮発生のメカニズムです

 

 

 

 

 

 

春先の潮の干満が大きくなる頃

最も渦の発生が盛んになり

20〜30mのものも見られるそうです

 

 

 

 

 

 

その渦に飲まれてしまったら最後

二度と上がってこれず

なので鳴門海峡の海底が

どのようになっているのか

未だ目にした人はいないのだそうです

 

地震いや地殻変動の時にも思い知らされましたが

自然の力の大きさに畏れるばかりです

 

ナルト巻きってもしかして

ここから名付けられたのかな

気になって調べてみたらビンゴ!


このように潮の流れが速く

また晴天が続くことから

塩分濃度の高い清澄な海水に恵まれた鳴門は

昔から塩づくりの盛んな地でした

製塩業はおよそ400年前の慶長4年に始まったとされ

60年ほど前まで大きな塩田風景が広がっていたそうです

鳴門教育大学も塩田の跡地に建てられたので

液状化が懸念され防災教育にも力を入れているそうです

 

流下式の製塩で能登半島に伝わる揚浜式とは

また違った製塩法ではあります


そのあと大塚国際美術館へも足を運びました

世界中の名画の陶板レプリカを展示してあります

 

 

 

 

 

 

大正時代

製塩業で財をなした大塚武三郎氏が

薬の開発にも乗り出します

点滴液を足がかりとして

オロナイン オロナミンなどの新薬を販売します

大塚製薬の誕生です

 

薬の名前には「ン」で終わるものが多いです

これは次々と日本の新薬が開発された時代は

それまで右から左へ書いていた

日本語の横書き表記を

欧米のアルファベット表記に揃えて

左から右へと変えていた時代なので

消費者が間違えないようにと

最後を「ン」にしたそうです

キャベジン バファリン…なるほど

 

やがて食品部門にも参入し

薬品包装の技術を生かし

レトルトカレーを開発します

ボンカレーです

点滴液を甘く味付けして売り出します

ポカリスエットです

この時食品会社のタブーにも挑戦しています

イメージカラーに青を採用したのです

青い食べ物がないことから

(せいぜいエビの卵くらい)

青は食欲を減退させる色として

食品会社が忌み嫌ったからです

こんなとこにも新しい街づくりへの

ヒントがありますね

 

かくのごとく

次々と新製品を世に送り出した大塚製薬が

社会貢献のためにと造ったのが

この大塚国際美術館です

 

 

 

 

 

 

レプリカとはいえ

圧倒的な迫力です


苦しいときこそ笑わなあかん!

今日の「大阪人の格言」

『月が欠けてくときに文句言うか?!』

【意味】

つべこべ文句ばっかり言うな