トルコと日本の絆

地震から335 日目

豪雨から71 日目

 

週末は家族の住む内灘へ

二拠点生活が続いています

 

金沢の街はいろんな店が開いていて

飲食店もたくさんあって

夜まで明るくて

別世界です

 

回転寿司へ行ってきました

発災直後に行ってみたけど

あまりの値段の高さに怖気付いて

カッパ巻きだけ食べて出て以来です

 

子どもの頃から

「出されたものは残さず食べなさい」

と教育を受けていたので

生まれて初めて回転寿司に行った時

次から次へと出て来る皿を

残してはいけないと食べ続け

お腹を壊したお間抜けな経験があります

 

高校生のみなさん

昔の回転寿司は

今みたいなタッチパネルではなく

本当に回転寿司で

次から次へと流れて来ていたんですよ


NHKの新プロジェクトXで

トルコで海底トンネルの建設に携わった

小山文夫さんと木村政俊さんの

物語が放送されていました

 

以下NHKのサイトより

「150年間も着工されなかった世紀の難工事

 トルコ・ボスポラス海峡海底トンネル

 厳しい地形条件を恐れて

 世界各国のゼネコンが固辞する中

 挑んだのは日本とトルコの混成チーム

「鋼鉄の男」と呼ばれる日本人リーダーの下

 予測不能の複雑な潮流を読み解き 

 海中に直接トンネルを作る特殊工法を採用

 アジアとヨーロッパをつなぐ地下鉄マルマライを実現させた

 市民の通勤事情を劇的に改善し

 今なおトルコで語り継がれる物語」

 

トルコといえば新日国家として知られています

 

古くは1890年和歌山県串本町沖合での

エルトゥールル号遭難事件に遡ります

台風の影響で

エルトゥールル号が岩礁に衝突し沈没

500名を超える死亡者と行方不明者が出ました

このとき近隣の村民が総出で

捜索や救助、介抱をしました

生存者がいないかどうか荒れる海に飛び込んだといいます

打ち上げられた遺体の中に生存者がいたら

息絶えないよう自らの体温で温める人もいたそうです

 

エルトゥールル号遭難事故から100年後

イラン・イラク戦争が勃発します

イラクのフセイン大統領は

48時間後を境に

イラン上空を飛ぶ飛行機を

無差別で攻撃すると宣言します

ところが日本政府は

邦人保護のための航空機を

出すことができませんでした

その時トルコ政府は

自国民のために用意した飛行機を2機

日本人を乗せるために差し出してくれたのです

タイムリミットぎりぎりの48時間で

多くの日本人がイランを脱出することができました

その時飛行機に乗れずにイラン国内に残されたトルコ人は

陸路での脱出を図り自力でトルコに帰ったのです

トルコは自国民よりも日本人の脱出を優先させてくれました

トルコ政府はこう言いました

「エルトゥールル号の借りを返しただけです」

 

1999年にトルコは大地震に見舞われました

日本は真っ先に

レスキューチームや医療チームの派遣を行いました

支援物資を積んだ海上自衛隊輸送艦「おおすみ」の艦長は

「イラン・イラク戦争の際に 

 危険を顧みずに日本人を助けてくれたトルコの友情に

 我々は今こそこたえなければならない。」

 

今回のパリサミットでは

輪島高校の生徒とトルコの高校生が

同じチームを組んで活動することになっていて

その後も共創を続けて行くことになっています


ビジネスコースの3年生が

卒業制作として

被災地の瓦や瓦礫を転生させて

マリンタウンに設置するベンチを残す

そんな活動を現在進行しています

ご協力してくださっているのは

大成建設さん

発災時から生徒の探究活動に

寄り添ってくださっています

 

新プロジェクトXトルコの海底トンネル

番組最後の方で

この海底トンネルを完成させた会社名の

テロップが流れました

大成建設