授業の感想 なぜ書かせるの?
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朝日新聞の投稿欄
ある女子大生が
「授業の感想なぜ書かせるの?」
と問題提起していらっしゃいました
授業の内容に対する意見なら
考えを整理する意義を見いだせる
だけど単なる感想であるなら
書いても意味がないと
疑問に思っていらっしゃいます
私も大学時代そんな教授に出逢ったことがあります
毎回
「私の講義に対して建設的に意見を述べよ」
と感想を課されました
国語がからっきし弱い私は
「建設的」の意味がわからず
勝手に「批判的に」という意味と勘違いして
講義の悪口を延々と書き続けていたのでした
しかも
講義内容には大学生が反論できる要素などなく
仕方ないので
「先生があの場面で飛ばしたギャグは
全く笑えませんでした」
のようなどうでもいい感想に
ならざるを得ないのでした
おかげさまで
皆出席で試験もそこそこできたはずなのに
「不可」つまり不合格
教授はよほど腹に据えかねていたものと
思われます
あとで友達に相談して
ようやく「建設的」の意味がわかり
後悔したのでした
国語は大事です
彼女は続けます
「感想は個人の気持ちであり
正解がないものなので
書いても評価されにくく
形だけの作業になってしまいます」
なるほど
私自身振り返ってみると
感想文に本心を書いたことが
一度もないことに気づかされました
こんなことを書いておけば先生が喜ぶだろうと
そして点数が上がるだろうと
でもなんか
そのときの経験が
このブログに役立っているような気もします
このブログはほぼ本心を適当に書いてはいますが
言葉選びには細心の注意をはらっています
改行の位置とか
漢字にするかひらがなにするかとか
特に読み手が不快にならないように
このことについては
びくびくしながら何度も読み返しています
彼女は
書き方指導の必要性にも言及したあとで
こう結びます
「なぜ感想を書くのか
どんな力を身につけさせたいのか
目的をきちんと伝えるのが大切です」
すばらしいです
ぜひ教員になっていただきたいと思います
きっといい先生になると思います