酒は飲めのめ 呑むなれど

地震から 724 日

 

年末年始を迎え

お酒を飲む機会も増えてきます

節度のある飲み方でいきましょう

 

「酒の失敗」

「酒の上の失言」

これは昔からあったようです

 

古くは奈良時代 763年12月29日

忘年会でしょうか

中臣伊加麻呂 真助親子と

葛井連根道の3人が

 「酒を飲みて言語うこと

 時の忌諱に渉れる」

酒を飲んでよからぬことを話しした

ということで流罪になった記録があります

時の孝謙天皇と僧侶道鏡に絡むことかと

推測されます

実はこの事件の5年前に

「近年

 ひとびとが宴に集まり

 政を謗ったり道理を失うことがある

 今後は祭礼や治療以外に

 酒を飲むことを禁ずる」

と禁酒令が出されていたようです

 

酒にまつわるエピソードの宝庫はこの人

福島正則 です

彼は豊臣秀吉の従兄弟にあたり

賤ヶ岳の戦いで

「七本槍」と称されたほどの

勇猛果敢な槍の名手です

『三名槍』のひとつ『日の本号』を

秀吉から賜り大切にしていました

この槍は

扇町天皇から足利義昭そして信長秀吉と渡った

槍でありながら貴族の称号『正三位』を与えられた

大大名並の権威を持った槍です

それはそれは由緒正しき槍です

 

ある日のこと

黒田官兵衛の息子長政の家臣

母里友信(もりとものぶ)が訪ねてきた時

ちょうど嗜んでいてご機嫌だった正則

「おお よく来た!一緒に飲もうぜ!」

「いえ今日は使いで来ましたんで」

「いいじゃねえか!飲もうぜ」

「いえ仕事中ですし」

「固えこと言うな!やろうぜ!」

「うちの殿にも止められてますんで」

すると正則

優勝力士が飲むようなでっかい盃に

並々と注ぎ

「これ飲んだら好きなもんやるから」

「せっかくですが・・・」

「なんだよ!俺の酒が飲めねえてのか?

 黒田家も大したことないな」

自分のことならまだしも

主君黒田家をけなされたとあっては

友信も引き下がるわけにはいきません

「わかりました・・・」

ところが実は友信

黒田家きっての大酒飲み

一息で盃の酒を飲み干したかと思うや否や

「何でもくれるって約束しましたよね

 その槍いただきましょう!」と

『日の本号』を指さしたのです

武士に二言はないと

泣く泣く天下の名槍を手放すことに

このことは

「酒は飲めのめ飲むならば

 日の本一のこの槍を」

と黒田節となって現代に伝えられています

 

 

また別のある日

家臣の柘植清右衛門(つげせいえもん)

に関する失敗を

福島家には

「船から降りるときは

 木綿のふんどしをつける」

なんて謎校則みたいな掟があり

ところがそれを破ったのを見るや否や

「責任者の柘植呼べ!」

「柘植!お前

 今回は掟に従えって言ったよな!」

ところがこの時正則は

すっかり出来上がっており

言ってもいないことを

酔って勘違いしているのでした

「殿!勘違いにございます

 柘植は何も悪くありません」

と他の家臣の諫言に聞く耳持たず

「バカやろ!おめえ!切腹だ!切腹」

他のものに迷惑かけてはと

柘植は見事な?最期を遂げるのでした

首を見て満足した正則はそのまま爆睡

翌朝目覚めたシラフの正則は

「用事がある 柘植をこちらに」

昨夜のことを全く覚えていません

「殿…柘植はこちらに…」

と家臣が差し出した柘植の首に

ようやく全てを悟り号泣したと

伝えられています 

 

酒を呑んで記憶を失うことについては

私も話題に事欠きませんが

なぜそうなるのか調べてみました

味の素のうま味成分『グルタミン酸』が

関わっているようです

グルタミン酸は

脳内で興奮性の神経伝達物質として

はたらきます

脳内で記憶や学習に携わるのは『海馬』

海馬の表面には

『NMDA型受容体』という

グルタミン酸を受け取る部分が

広く分布しています

NMDA型受容体にグルタミン酸が結合することで

学習記憶に必要な生化学反応が起こります

アルコールは

NMDA型受容体の働きを鈍くするのです

逆に受容体の働きを活発にする物質が見つかれば

『暗記パン』を作れるかもしれませんね

 

 

お間抜けな酔っぱらい伝説に

事欠かない福島正則

実はカッコいいエピソードもあります

正則の所領広島は酒造りが盛んです

ある日将軍家に献上する酒を積んだ船が漂流

八丈島に家臣達が上陸すると

ひとりの老人が近づいてきて

「広島の酒を所望したい」と

老人の名は宇喜多秀家

「関ヶ原の戦い」に敗れ

島流しの身になっていたのでした

家臣たちは酒を1樽置いて再び江戸へ

勝手なことをしたと切腹覚悟の上でしたが

事の顛末を聞いた正則はたいそう喜び

褒めたたえたそうです

秀家と正則は関ヶ原の戦いこそ

東西の敵同士として戦いましたが

幼い頃から共に秀吉に仕えてきた仲

その後も八丈島に酒を贈り続けたそうです