今時忘年会
地震から364 日目
豪雨から100 日
昨日の近江町市場での販売会
担当の山上先生からおたよりが
今日は小雪が舞う中、遠くはるばる岡山県立興陽高等学校、IPU環太平洋大学の学生、教員のみなさんと共同販売を通して交流することができ相互に貴重な経験となりました。
寒さに震えながらオリジナル商品を販売したことは参加した皆の記憶にしっかりと残り、今後の課題の発見や解決に役立っていくだろうと感じました
帰り道、輪島高校の生徒と歩きながら、より良い方法を出し合いました。活発に自分事として意見を次々に出す生徒がとても頼もしく、県の枠を越えた新しい教育がはじまった実感がありました。
もっと「より良く」という思いが通じ合えた一日となりました。
あたたかいコロッケとても美味しかったです
ありがとうございました
それから昨日は忘年会がありました
と言ってもお酒はなしです
高校生の忘年会だからです
お店の予約もなしです
オンラインの忘年会だからです
公用語は英語です
なぜならパリサミットに参加した生徒たちの
忘年会だからです
世界中から参加です
なんて令和な忘年会でしょう
ところで日本以外に
忘年会ってそもそもあるのかな?
気になって調べてみました
英語でなんていうんだろ?
ありました
Year-end Party
今度はYear-end Party で検索
ヒットするのは日本のサイトばかり
日本ならではの伝統を伝えるための
訳語のようです
さらに調べると
台湾の尾牙(ウェイヤー)
中国の年会(ニィェンフゥェイ)
韓国の送年会(송년회〈ソンニョネ〉、送年會)
(韓国では「会」を「え」と読むんですね
日本でも「会釈」と言いますもんね)
東アジアには似たような風習がありました
We wish a merry Christmas
and Happy New Year
クリスマスと正月を
いっしょくたにしているこの曲
昔から違和感を持っているのですが
欧米とアジアでは新年に対する感覚が
全く違うんでしょうね
そうそう
オーストラリアのクリスマスツリーには
てっぺんに
星ではなく太陽が飾ってありました
諸説ありますが忘年会は
鎌倉時代に貴族が和歌を詠む行事として
始まったとされています
優雅ですな
飲み会形式の忘年会が始まったのは
明治時代以降だそうです
企業での忘年会が一般的になったのは
昭和になってから
忘年会になると
やたら高いスペックを発揮する先生って
いましたね
「マジックをします
シルクハットの中に
卵を入れまーす
そしてかぶると…」
本人は鳩を出すつもりでも
酔っているのでグダグダです
顔を生卵がタラー
「それマジックやなくて
単なる我慢やないかい!」
と突っ込まれて終わりです
忘年会といえば「無礼講」
これどこで切れると思いますか
無礼+講
つまり無礼が許されるという意味ではありません
無+礼講
です
「礼講」とは
神様に捧げたお神酒を偉い人から順番にいただくこと
そして神事が終わった後に開かれる宴を
"無礼講"と言うそうです
若い頃無礼講は何してもいいと勘違いして
調子に乗って
髪の薄い校長先生に
「さすが校長先生!
ただ禿げてませんね!」
(「ただ」は輪島弁かな?「だてに」の意)
となでなでしたのは私です
覚えはないのですが
同席していた先生が後で教えてくれました
その校長先生は
今でもお逢いすると
「おー ビン」
(ビンは私のニックネーム)
と言って声をかけてくださいます
スケールの大きな方です
忘年会といえば景品がつきものです
景品のルーツは江戸時代にその記録が残されています
もともと景品というのは
商品やサービスを宣伝するアイテムのことです
その原型は元禄時代
駿河町「越後屋」がはじめた貸し傘サービスです
にわか雨が振ると
店章入りの傘を多くの客に無料で貸し出しました
「江戸中を 越後屋にして 虹が吹き」
という川柳が残されているほどです
「越後屋」は
今でいうところの
三井アウトレットパークの三井グループです
そのサービス精神は
脈々と引き継がれているのですね
さて今回のオンライン忘年会
新型コロナの影響で一気に広まりましたね
私は一度も参加したことがありません
「何が楽しいんだか」という思いを持っていたからです
でも今はそれも楽しいかなと
思いはじめています
というのも現在
輪島と金沢のニ拠点生活をしていて
夜ひとりで呑みながら
このブログを書くことが増えてきたからです
iPad相手にひとりで呟いていても
案外面白いなと感じはじめています
酔ったときの特徴分かりますか?
まず話が長い!
そして話題があちこちへ飛ぶ
実は自分で後で読み返して
面白いと思うこともあります
ほとんどが酔っ払って書いたときのものです
翌朝読み返して
「やばいやばい」と
慌てて消去することもあります
さて今日はどっちでしょう?