日誌

新規日誌7

草木染め

今年度最後のわくわく教室は、県立自然資料館副館長の中野真理子先生に指導して頂き、草木染め体験をしました。最初にシャリンバイとカリヤスを煮出しました。しばらくすると自然な甘い香りがしてきました。そこに豆絞りを施した木綿のハンカチを入れ色を染みこませました。その後ミョウバンを入れた媒染液に浸して色を定着させました。本来ならば、この作業を繰り返すとよりはっきりした色になるそうですが、今回は時間の関係で1回で取り出し、水洗いをしました。身近な草木で染め物ができることを知り、家でもやってみたいといった感想が聞かれました。

 

たこあげ

新年最初のわくわく教室は凧作りです。凧作り名人の丹羽講平先生に教えて頂きながらダイヤ型の凧を作りました。最初にビニールシートに思い思いの絵を描きました。今年の干支の辰やアニメのキャラクターなどそれぞれが思い思いの絵を描きました。その後、竹ひごで骨組みし、凧ひもを付けて完成させました。作った凧を早速、体育館や運動場で揚げました。あまり風が吹いていなかったですが、上手な子は凧糸が無くなるくらい高くは上げていました。あまり上がらなかった子も元気に走り周り、たこ揚げを楽しんでいました。

 

 

室内球技

今回は、白尾灯台までのサイクリングを予定していましたが、雨のため、残念ながら室内球技を行いました。
行った競技はビーチバレーボールとボッチャです。ビーチバレーは4月にも行いましたが、4月と比べてサーブもレシーブも上手になり、ラリーが続いていました。ボッチャは6月に行ったペタンクと同じルールで行ったため、すぐに馴染むことができました。ビーチバレーでは、なかなか勝てなかったチームでも、ペタンクでは勝つことができ、最後まで競技を楽しむことができました。

 

パタパタ変身キューブ

今回のわくわく教室は来週が運動会のため、1週早く行いました。内容は科学工作で、8個の立方体を組み合わせて変身キューブを作りました。工作用紙を切ったり立体に組み立てたりと、根気の要る作業でしたが、集中して行っていました。立方体の繋げ方が難しく、予定時間を少しオーバーしてしましましたが、お手本を見たり友達に教えてもらったりしながら、なんとか仕上げることができました。

 

 

 

自然体験教室

8月19日(土)から、国立能登青少年交流の家にて1泊2日の自然体験教室を行いました。9時に高松駅に集合し、電車で羽咋駅まで移動し、所のバスで自然の家へ向かいました。

 最初の活動「グリーンアドベンチャー」では、その周りの樹木につての問題を解い歩きました。図鑑を片手に、植物の名前や、特徴について学ぶことができました。

昼食後は、気温が高かったため、室内での工作にしました。最初に傘袋を使ったロケットづくりを行いました。出来るだけ遠くまで飛ぶように、ゴムの位置や、羽の付け方など試行錯誤しながら作りました。

 次に「海藻しおり」づくりを行いました。体験教室の思い出が詰まった自分へのおみやげになるように、工夫しながら作りました。

夕食後の「ナイトアドベンチャー」では、グループで地図を見ながら7箇所のかごに置かれたカードを集めて回りました。暗い中、かごを見つけるのに苦労していましたが、協力しながら回ることができました。

2日目の活動は「野外炊飯」でカレーライスを作りました。かまど、ごはん、カレーライスの3つの係に分かれて作業を進めました。どのグループもおいしいカレーが仕上がり、完食しました。後片付けも完璧で、所のスタッフの方に褒められました。

最後の感想では、それぞれが思いで残った活動について発表しました。2日間を通して病気や怪我も無く、楽しい思い出をつくることが出来ました。

 

追跡ハイク

今回のわくわく教室は追跡ハイクでした。3年生から6年生が4・5人のグループに分かれて約3キロのコースをコマ図を頼りに歩きました。スタート前に、津幡署の警察官の方から、交通安全や防犯についてのお話を聞きました。10ヶ所あるチエックポイントで出される問題をグループで相談しながら解きました。高松交番では交通安全ちかいの言葉を全員で読み上げ、警察官の方から合格のサインをもらいました。ゴール後は、パトカーや白バイの試乗もさせて頂き、貴重な体験をすることができました。

 

 

ビーチバレーボール

今年度最初のワクワク教室、3年生~6年生の28名でスタートしました。最初に自己紹介をした後、今年度の活動予定を確認しました。今年は久しぶりに夏の宿泊を行う予定です。

今回の活動はビーチバレーボールでした。4~5人の4チームに分かれ総当たり戦をしました。最初はサーブが入らず苦労している子もいましたが、次第に上手になり、ラリーも続くようになりました。チームで協力しながら楽しむことができました。

 

 

凧作り

新年最初のわくわく教室は凧作りです。最初にダイヤ型のビニールシートに思い思いの絵を描きました。今年の干支のウサギや昨年の干支トラ、中には蛸の凧?などそれぞれの個性が表れていました。その後、竹ひごで骨組みし、凧ひもを付けて完成させました。作った凧を早速、運動場で揚げました。あまり風が吹いていなかったので、高くは上がりませんでしたが、それでも、子どもたちは元気に走り周り、たこ揚げを楽しんでいました。

バードウォッチング

今年もコハクチョウが飛来する季節になってきました。今回は「まちの鳥の先生」中川富男先生と塩嶋保二先生のお二人と一緒に河北潟でのバードウォッチングです。出発前に学校で双眼鏡の使い方を習い、図鑑を片手にわくわくしながら出かけました。河北潟周辺の田んぼには沢山のコハクチョウが羽を休めてエサを食べていました。鳥の先生から稲の二番穗を食べているのだと教えていただきました。野鳥観察舎からはコガモやカンムリカイツブリなど多くの水鳥をじっくり観察することができました。

 

サイクリング

今年度4回目のわくわく教室はサイクリングでした。里山海道の自転車道を通り、千里浜をめざしました。右手に宝達山、左手に日本海を眺め、秋の風を感じながら快適なサイクリングでした。今浜口から千里浜を走ろうと考えていましたが、残念ながら波が高く、通行止めとなっていました。そのため、千里浜沿いの砂利道を通って千里浜を眺め、折り返しました。帰り道は向かい風となりなかなか自転車が進みませんでしたが、3年生もしっかり学校まで戻ってくることができました。

追跡ハイク

今年度3回目のわくわく教室は追跡ハイクでした。4人ずつ、5グループに分かれて約3キロのコースをコマ図を頼りに歩きます。スタート前に、津幡署の警察官の方から、交通安全や防犯についてのお話を聞きました。途中のチエックポイントで出される問題をグループで相談しながら解きました。ゴール後は、パトカーの試乗もさせて頂き、貴重な体験をすることができました。

海辺の植物観察

今年度2回目のわくわく教室は、石川県立自然史資料館 副館長 中野真理子先生をお招きし、海辺の植物観察を行いました。高松の海辺やサイクリングロード沿いを歩きながら、植物を観察したり、中野先生の解説を聞いたりしました。海辺の植物にハマヒルガオなどハマのつく名前が多いことや、外来種の植物がたくさん生えていることなど、いろんなことに気付かされました。最後に「たくさんの植物の名前を知ることができてよかったです」と感想を述べていた子のように、これからも植物に興味をもつ子が増えてほしいと思います。

 

 

高松歴史街道ウォークラリー(中止のお知らせ)

 今年度こそ開催を、と計画を進め、参加者の募集を始める予定にしていたウォークラリーでしたが、この頃の感染拡大状況を鑑み、学校運営協議会会長及び伝統文化部で協議の結果、残念ながら中止と決定しました。楽しみにしていた皆様にはお詫び申し上げます。何卒ご理解いただきますようお願いいたします。

「高松歴史街道」ポイント紹介⑦

金津家住宅

         

 古い町並みを残す旧能登街道の通りに面している住宅で、戦前から残る家屋である。改築の際には昔ながらの格子を残し、街道の景観に配慮した造りとなっている。内部は、吹き抜けの美しい小屋組の形状を見ることができる。

「高松歴史街道」ポイント紹介⑥

額神社(ぬかじんじゃ)

             

 額神社は、昔から高松の鎮守として崇められてきた。ここは、加賀国より能登国に通じる街道で、街道の南、河北潟より七窪を経て当社に至る街道は、「おまんぎつね」が出る所であり、旅人の安全を祈願したと伝わる。英之社は、桜井三郎左衛門を祭神とする。桜井三郎左衛門は、天正12年末森合戦に藩公前田利家に協力した人物であり、その功績により高松の宅地の税を免除されたと伝わっている。 嘉永3年に拝殿を建立し、古宮より現在地に遷座した。(神社由緒書より)

 また、ここは宿場町でもあり火災も頻発しており、火事除けに赤飯を神に供えた後で各家に配る慣わしがあった。しかしある年、赤飯の代わりに清酒を配ったところ大火事が発生したため、神様の怒りに触れたのではないかと畏れ、もとの赤飯に戻したのだという。

「高松歴史街道」ポイント⑤

鶴 彬 句碑(歴史公園内)

         

鶴 彬(つる あきら)本名:喜多 一二(かつじ)は旧高松町出身の川柳作家です。

 彼は8歳の頃に父を亡くし、その後叔父の養子となりました。仕事を終え読書にふける日々を送っていた彼は、読書で得た知識を通して自分の思いを言葉で表現してみたいと考えるようになり、川柳を作るようになりました。

 川柳に熱中した彼は、地元新聞の柳壇を独占する勢いで作品を創作するようになり、高い評価を得ましたが、一方で反感も持たれることとなりました。不景気の影響によって生活に窮した彼は大阪に出て働き、その頃から鶴彬の号を使い始めます。

 鶴彬は、川柳雑誌『川柳人』上で発表した作品が反戦的であるという理由で警察に連行され、その取調べ中に赤痢を患い、昭和13年に息を引き取りました。享年29歳でした。

 鶴彬は、日本が軍国主義に邁進していた時代にその社会的矛盾を風刺した川柳を発表したことから、一般的に「反戦」の川柳作家という評価が強調されています。しかしながら、無力な人々の心の救いを川柳に見出そうとしたことや、格下に見られていた川柳を大衆のための文芸に引き上げようとしたことも非常に高く評価されています。 

 この句碑は昭和47年に鶴彬の友人や同級生などの有志の手によって、高松児童公園に建立され、その後歴史公園に移設されたもので、「枯れ芝よ団結をして春を待つ」が刻まれています。

(かほく市ホームページより)

 

 高松小学校では、毎年「鶴彬を顕彰する会」のご協力により、講師をお招きして鶴彬さんについて6年生が学んでいます。

「高松歴史街道」ポイント紹介④

<高松歴史公園>

 のと里山海道高松インターチェンジを降りて北に進むと、高松歴史公園と呼ばれる小さな公園があります。

 

◆高松口銭(こうせん)場跡の碑(高松歴史公園内)

  加賀藩は、街道の整備を進め、沿道の主要な村を駅(うまや)に指定し、駅馬の制度を定めていました。高松も能登方面に至る表街道の宿場駅のひとつでした。宿場駅には物流の拠点として各地から物資が集まり、荷問屋と呼ばれる人々の手によって各地の駅へと運ばれていました。口銭というのは、物資にかけられる手数料・運送料・保管料などを意味していました。

 高松は海上交通の面でも加賀・能登を結ぶ重要拠点であり、江戸時代中期以降には取り扱う物資の量も増えました。これらの口銭の徴収を行っていた場所が、口銭場です。

「高松歴史街道」ポイント紹介③

<高松道路元標>

 額神社近くに、「高松道路元標」がある。旧能登街道の高松地区の中央辺りにある道しるべで、大正12年に設置されている。金沢までの道のり、加賀方面の津幡、能登方面の大海までの道のりが刻まれている。現在ある道標は平成13年5月13日還暦を迎えた人たちの記念として建立されたものである。

高松に残る昔話

 高松小学校の図書室前の廊下に、高松の昔話が掲示されています。題名は「覚了さんとムジナ」です。紙芝居のようになっています。物語の舞台となった具体的な場所などはわかりませんが、ほんわかとした何か憎めないムジナのお話です。

 

 

 

 

「高松歴史街道」ポイント紹介②

「旧能登街道 宿場町」

 口銭場があったことが示すように、藩政期には旧高松町から宝達志水町の宿を通って能登へと至る街道がありました。高松の駅(うまや)はその要衝として多くの宿が並び、能登と加賀を往来する旅人で賑わっていました。その家数は寛政10年(1798年)には160軒、安政2年(1855年)には439軒と、その増加率は津幡の駅(うまや)を凌ぐほどであったといいます。のちに高松は商工業の町として大いに栄えることになりますが、その原点は藩政時代の宿場にあったと考えられています。南町・中町・上北町と呼ばれる町内会の大通りは能登街道の宿場町として賑わっていた頃の面影を残しています。 (かほく市ホームページより)