日誌

第7回かほく市PTA大会

本日、「かほく市PTA大会」が開催されました。
会場は昨年同様、河北台中学校の講堂です。



さらに開会宣言も昨年同様
「始まるよ~!」
の掛け声でのスタートです。
この何とも言えないスタートは
是非続けて行ってもらいたいと思います。
O氏、宜しくお願いします。

かほく市PTA大会とは、
かほく市内にある三つの中学校と六つの小学校のPTA会長、
そして家庭教育委員、
さらに各校の教頭先生達が協力し作られている行事です。
そして、
PTA関連功労者の表彰、
家庭教育委員による実践発表、
そして講師を呼んでの講演。
この三本柱がPTA大会の内容です。



今年度は6人の方が表彰されました。
表彰者の皆様、おめでとうございます。


家庭教育委員の発表の場、実践発表では、
毎年恒例、コミュニケーションウィークのアンケート結果と、
各学校の特色ある取り組みの発表です。


コミュニケーションをとる場は、家庭内はもちろん、地域の方々ともとりましょう。
地域の方と顔見知りになればきっと楽しく過ごせるのではないかと思います。
こういうことは、平常時よりも、非常時に力を発揮するものです。
ちなみに今回の講演は、非常時を味わってしまった地域のお話でした。


特色ある取り組みではエンジョイホームがちらっと紹介されました。
ちらっとね(笑)


そして今回の講演は
作家であり写真家であり映画監督でもある大西暢夫氏による
「3.11の取材から繋がりと支援の継続」
という演題です。



3.11とは、
東日本大震災(2011.03.11)の事です。
大西さんは当時愛媛で取材をしていたのですが、
取材そっちのけで大震災のニュースを見ていたそうです。
そういえば私もニュースに釘付けになったのを思い出しました。
車が津波に飲み込まれ、おもちゃのミニカーがグルグルとかき混ぜられているような
異様な光景が印象的でした。
ドキュメンタリー映像を撮っている大西さんはこれを見てすぐ現地に足を運びました。
被災地は何処も悲惨な状況で、戦後直後はこんな感じだったのだろうと思ったそうです。
大西さんの住まいは岐阜県で、震災から延べ80回ほど岐阜から被災地に通い、
その時に自分の目で見た事を伝えてくれました。
自衛隊、警察官、ボランティア、報道陣の頑張り。
報道ではあまり語られていませんが、家族の崩壊が多々あった事。
見てきた中で一番悲惨だったのは岩手県の大槌町だった等々。
画像を何点かスライドで見ましたが、印象的だったものを撮ってきました。


この数字は名札であり、墓標でもあります。
小さな町だと、どの棺桶を開いても知った顔ばかり。辛いです。


これは生徒や先生の大半が亡くなった大川小学校内部。
時計の針は津波が来た時を指しています。
大川小については↓
大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻

写真家として被災地(主に東松島市)を撮り続け支援をし続けてきた大西さん。
時が経つと写真だけでは支援は続けられないと考え、
また、周囲の人たちから「色んな声が聞きたい」との要望もあり
動画を撮ることにしたそうです。
娘の遺品すべてが無くなり、「娘がいた事を証明するものが何も無い。」
と悲しんでいた母の元に娘の免許証が届けられ、
「これで娘が居た事を証明できる。」と喜んだお母さん。
亡くなった人を想い手を合わせる事が気持ちを楽にさせる。等
その沢山撮った動画を映画にしたそうです。
映画の題名は「家族の軌跡」



映画を上映することで発生するお金が義援金になるそうです。
支援を継続させるための努力に脱帽です。

何度も東松島市を訪れて人間関係を築いたからこそ生まれた映画ですね。
コミュニケーションは素敵なものを生み出してくれる魔法のようです。