日誌

震災から1年 ~ 上谷さん、開発した非常食を配布 ~

1月7日(火)、食品科学研究会 部長 上谷さんが、

自身が中心となって開発した非常食「酒米甘酒羊羹」を能登に届けました。

 

1年前の元日に能登半島を襲った地震。輪島市町野町にあるお父さんの実家で、

全壊した家屋の下敷きになった食品科学コース3年の上谷菊環さん。

3時間後に救出されたものの、その後4日間を過ごした避難所では

備蓄食料は無く、断水、停電、通信不可。

1日目は家族5人で紙コップ一杯の水を分け合うという状況を経験。

ところが2日目、避難者が、半壊した自宅や畑から食料を持ち寄って

温かいお握りとみそ汁を作ってくれたそうです。

食べると、不安や恐怖がスーッと消え、被災後、初めてみんなが笑顔になった。

「食べることは生きる力になる!希望を持つ力になる!」と感じたそうです。

 

3日目に届いた救援物資は、缶詰は数が少なく、クラッカーや乾パンは硬くて食べづらく喉も渇く。

粉末スープはお湯が必要だが水は入っていなかった。

この経験から、「栄養と水分が手軽に摂れる美味しい非常食を作ろう」と決意。

上谷さんの挑戦が始まりました。

 

上谷さんが部長を務める「食品科学研究会」では、

これまでも地元生産者から出る処分・廃棄される食品の利活用に力を入れており、

日本酒の製造過程で出る「酒米を削った粉(酒米米粉)」を使ったスイーツの製造などを研究していました。

「酒米を削った粉(酒米米粉)」は、粒子にバラつきがあるので篩(ふるい)でふるって使用し、

その際に1mm程度の粒が一割以上残り、使い道がなく廃棄していました。

しかし、廃棄している酒米の粒で、栄養豊富である甘酒をつくれば非常食になるのでは?と考えました。

 

避難所では「トイレ回数を減らそうと水を飲まなくなった」こと、「空き缶や包装ごみが増えて臭いがきつかった」こと、「乾パンやクラッカーは硬くて喉が渇く」ことなどから、「液体では飲まれないかもしれない」「甘酒の容器は臭う可能性がある」と考え、液体ではなく適度に水分が摂れて、子どもから高齢者まで食べやすい硬さの羊羹に加工することにしました。

栄養士の井上先生にご指導いただいて血糖値が気になる方でも食べられることを確認、試食会では白山市の2次避難者の方々からご意見をいただきました。

学校では量産ができないため、金沢市の老舗和菓子店「(株)森八」に協力を依頼。「黒羊羹」に酒米甘酒を加えて備蓄用羊羹を製造して頂けることに。 羊羹の名前は、上谷菊環さんの「菊環」です。

 

上谷さんは、非常食酒米甘酒羊羹「菊環」を能登に無料で届けるため、クラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げ、 147人の方から目標額を超える1,514,000円ものご支援を頂きました。

 

被災から1年が過ぎた1月7日(火)、

上谷さんはついに奥能登の珠洲市、能登町、輪島市にそれぞれ1,250本、合計3,750本の羊羹を届けることができました。

出発の前日には、6000本の羊羹に部員総出で一本一本心を込めてラベルを貼り、能登へ。

能登町では大森凡世町長に、輪島市では防災対策課職員の方に、珠洲市では、健康増進センター所長三上様にお渡しした後、仮設住宅も訪問し手渡ししたそうです。

2月10日以降に穴水町にもお届けするとのことです。

上谷さん、お疲れさまでした。今後の活躍も応援しています。