学校紹介

「楽しく学び合い成長を実感できる学校」

   ~活力・感動・感謝を大切に~

令和6年度、「話し合い」「認め合い」「喜び合い3つの「合い」を合言葉にスタートしました。子ども達と職員が共に学び続け、成長し続ける学校をめざします。

 

【学校研究】

<研究主題「自ら考え、共に深め合う子の育成」

副主題 「学びを実感できる授業を通して」

子ども達がしっかりと考えをもち、交流を通して自分の考えを再構築し、学びを実感できる授業をめざします。

 

【中条小学校 3つの「合い」の姿】

<子ども同士で>

 

<地域の方々と>

<子どもと職員、職員同士で>

 

 

 

校章
 
明治22年町村制実施に伴い、中条村が誕生する。それとともに中条小学校の校区は、北中条、南中条、太田、潟端、浅田の5集落による通学区域となった。当時、各集落の代表者が一堂に会し、中条村旗を作ることになりその図柄について相談をした。中条村旗の図柄と校章の図柄は全く同一である。図柄は日本の花の象徴である桜の花びらの周囲に雄しべ雌しべをあしらい、中条村5集落の繁栄と団結を示したものと語り継がれている。中条小学校の校章も学校の隆盛発展を求める村民の意志で村旗と同じ図案を使用することにしたと言われている。昭和元年12月30日講堂が竣工した時に校章が披露されたと言われ、昭和2年3月30日、当時の村長 沢田七郎が樹立式を行う。なお、浅谷地区は通学区変更により昭和60年4月1日より中条小学校に入学。
沿革の概要
明治
8年 3月1日  太田、南中条、潟端新の3村共同で太田村の永照寺を借用し、太田小学校を創設
13年       校舎を太田に新築
22年        町村制実施に伴い、北中条、浅田、南中条、太田、潟端、の5集落からなる中条村が誕生する。

          浅谷を除く現在の通学区域となる。
36年 4月    現在の中条公民館設置場所に校舎を新築し移る。
昭和
元年  12月30日    講堂が竣工した時に校章 披露
2年 3月30日  校旗樹立式、同6月2日校歌制定
22年 4月 1日 学制改革により中条村立中条小学校と改称し、中学校を併設する。
23年 4月 1日 中条村立中条中学校は、津幡中学校に統合し、併設を解く。
28年12月15日 新校舎が竣工し、落成式を挙行する。
29年 3月31日 中条村を解村し、津幡町に合併し祝賀行事を行う。
29年 5月20日 完全給食(A型)を実施する。
30年 3月 1日 創立80周年記念式を行う。
48年11月16日 教育機器研究の公開授業を行う。
50年 2月11日 創立100周年記念式を行う。
54年 7月21日 現校舎、鉄筋コンクリート一部3階建落成式挙行 (右図)
58年10月 4日 文部省・県教委指定による学校給食研究発表会を行う。
59年 8月 8日 学校給食優良校県教委表彰
59年 9月 6日 学校給食優良校文部大臣全国表彰
60年 4月 1日 浅谷地区1年生、通学区変更により金沢市立浅丘小学校より中条小学校へ入学
60年10月29日 教委指定による国語科研究発表会を行う。
61年 4月 1日 浅谷地区児童、金沢市立浅丘小学校廃校により中条小学校へ編入学
63年10月25日 教委指定による国語科研究発表会を行う。
平成
4年11月13日 県・セレクト給食研究推進協力校に指定され給食公開研究会を行う。
6年10月21日 町教委指定による全国学校体育研究大会石川大会第5分科会公開研究発表を行う。
10年 4月 1日 知的障害児学級(たんぽぽ)の開設、条南小学校分離開校
11年 4月 1日 情緒障害児学級(ひばり学級)の開設
11年 9月30日 東校舎二階の普通教室をコンピュータ室に改造(20台設置)
15年11月 7日 町教委指定による公開研究会を行う。 「高まり合う子どもをめざして」ー算数科を中心にー
16年11月17日 県視聴覚教育研究大会河北大会開催に伴い、授業公開をする。
21年 3月31日 耐震化工事完了。
22年11月17日 第47回石川県理科教育研究大会が本校で開かれる。