7/18 1学期終業式
本日令和7年度1学期終業式を行いました。
この1学期は、全生徒・全先生があらゆることに挑戦してくれました。そのため毎日エピソードが絶えず、学園ドラマそのものでした。失敗をしながら、壁を乗り越え、人間的に成長してくれました。(^_^)
今日の終業式では短く次のことを話しました。
「みんなの挨拶は、非常に明るく元気が良いので、非常に評判が良い。」
「昨日の文化教室THE SOULMATICSさんも、皆さんの明るさと元気の良さと、乗りの良さに感銘し、感謝されました。」
「先日、自転車二人乗りの生徒を運転中に見かけ、注意しようと車を停めると、その生徒がダッシュで走ってきて車のよこに気をつけをして、『本当にすみませんでした』と謝られ、注意することができませんでした。ー内心 その態度が嬉しかった(^_^)ー」
本日、羽工新聞が全生徒に配布され、校長からの終業式訓話を書いておきました。各クラスでこの話を話題に担任から人生について話がありました。
「二度とない人生をどう生きるか」
校長 中越 顕治
「人生二度無し」
私はこれまで皆さんに何度も問いかけてきました。
「二度とない人生を、悔いなく生きるためにどんな考え方と行動が必要だろう?」
「充実した人生とは何だろう?」
「生きるとは、そして死とは?」
そのヒントを私は一冊の雑誌『致知』の中に見つけました。令和七年五月十日(土)の講演会に来てくださった吉山満先生を覚えていますか? 私にとって人生の師匠とも呼べるその吉山先生が、愛読書として紹介してくださったのが『致知』でした。
「学力」だけでは幸せにはなれない
勉強ができても、心が荒んでいては自分も周りも不幸にしてしまいます。地下鉄サリン事件で猛毒を作ったのは、名門大学を出た「頭のいい」大人たちでした。
このように「生き方の勉強」が本当の勉強です。国語や数学、専門分野の勉強は、その枝葉にすぎません。大切な勉強は、何に命を使うか?つまり「使命」を見つける勉強です。
使命を見つける勉強について、『致知』に掲載されていた、ある青年の物語を紹介します。
寺に生まれながら僧侶になるのを嫌い、サラリーマンになった青年。ある日、会社の行事で鎌倉円覚寺管長・朝比奈宗源老師の講演を聞くことになります。
「なんで坊主の話を聞かなきゃならないんだ」と不満げに会場の隅で居眠り。ところが、老師の一言が朦朧とした頭に飛び込んできました。
「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」
意味不明な言葉に腹を立てた青年は退席。しかし人事部の命令で、講演後に老師へインタビューする羽目になります。
開口一番、青年はこう言いました。
「私には『仏心』なんてまったく分かりません」
老師は静かに答えます。
「二十五歳か。それじゃ分からん」
問い詰める青年に、老師は真顔でこう問いかけました。
「一生は一回しかない。その二度とない人生を、お前さんはどんな命題をもって生きるのか」
青年は言葉に詰まりました。自分の「人生のテーマ」など考えたことがなかったからです。老師はたたみかけます。
「使命とは『何に命を使うか』だ。二十五歳にもなって、それが無いとは嘆かわしい」
この一言が胸に突き刺さりました。
後日、青年は決意します。
「自分も朝比奈老師のように生きたい」――そして彼は禅の道に人生を捧げ、後に名僧と呼ばれるまでになりました。
君の「人生の命題」は何か
二度とない人生をどう生きるか。
その「命題」を見つけた瞬間、人は底知れないエネルギーを手にします。逆に、命題を持たないまま流されて生きれば、気づいたときには「もっと本気で生きればよかった」と後悔するかもしれません。
君は今、何に胸を熱くしますか?
どんなときに「これだ!」と心が震えますか?
小さな興味でも構いません。それをとことん掘り下げ、やがて使命と呼べるほど大きく育ててください。
最後に
高校生活は人生の助走期間。しかし助走に使える時間は意外と短い。「人生二度無し」。自分の命題を胸に刻み、今日という一日を、本気で生きてほしい。