宝達中の一日

1月

百人一首大会

宝達中学校では,毎年百人一首大会が行われています。

各学年クラス対抗でもありますが,個人賞もあり大いに盛り上がるイベントの一つです。

文化委員会が司会進行を務め,今年も白熱した戦いが繰り広げられました。

ところで,百人一首とは何でしょうか。その意味や歴史を知ると,百人一首がもっと好きになるかもしれません。

 「百人一首」は「小倉(おぐら)百人一首」ともいいます。”小倉”とは京都の嵯峨の小倉山(おぐらやま)のことです。作者は藤原定家(ふじわらのていか)。平安時代末期から鎌倉時代初期の頃の有名な歌人です。天智天皇から定家の時代までの優れた歌人100人の短歌を選んだ、いわばその時代までの「ベスト短歌」がこの「百人一首」になったわけです。作成したのは西暦1235年頃。定家が、知り合いの人から、山荘の障子に貼る色紙の作成を依頼され、それでこの百人一首を編集して書いて贈ったそうです。その山荘が小倉山にあったとのこと。小倉山は渡月橋で有名な京都の嵐山の近くにある山です。(引用元:http://edukakamigahara.com/naka1sho/wpcontent/uploads/2016/03/hyakuninsyuusetumei.pdf)

 戦国時代の頃になると、百人一首が「かるた」として遊び始められますが、はじめは宮中とか諸大名の大奥などで行われ、それが年間行事となったようです。この時代の「かるた」は、まだまだ庶民の間では馴染みの薄いものでしたが、江戸時代に入り、木版画の技術の発展や、南蛮渡来の「かるた」を取り入れることによって、庶民の中に徐々に広まっていきます。やがて、「民用小倉百人一首」などが出版され、元禄時代の頃から一般庶民の間にも広がり、「和歌かるた」と言えば「小倉百人一首」のことを指すようになり、庶民にも馴染みあるものになりました。(引用元:https://hyakunin.stardust31.com/)

百人一首にはこのように長い歴史があるのですね。歴史を感じる遊びの一つとして,これからも大切にしていきたいですね。