能登に伝わるあえのこと
能登の各地に「あえのこと」と呼ばれる田の神祭りがおこなわれています。これは、12月5日に農家が各家単位に行う田の神への豊作の感謝の意味を込めた素朴な新嘗祭であり、「あえ」には「もてなし」の意味があります。
石川県鳳至郡誌には、次のように紹介されています。
家に迎えられる田の神
この日、主人はかみしもに正装して「待つ」と「来る」の意味をかけて松と栗の枝を持ち、苗代田の水口に行き、
「田の神様、今日はあえのことのお祭りでございます。この一年間田んぼを守っていただき、ありがとうございました。そろそろ寒くなったので家におあがり下さるようお迎えにまいりました。」
と唱えます。家内まで田の神を案内し、
「田の神様、ご両人ながら長い年中を雨の日も風の日もご辛抱下され、ありがとうございました。おかげさまにて豊作を賜り、近年まれな増収を得ましたので皆喜んでおります。お寒かったでしょう。どうぞお暖まりくださいませ。」
と、すでに暖められた座敷で甘酒をふるまい、
「お風呂が沸きましたからおいで下さい。」
と入浴を勧めます。風呂の湯加減を確かめ、背中を洗い、
「ごゆっくりお使いくださいませ。」
と引き下がります。入浴が終わると座敷に案内し、
「神様きこしめし下さいませ。白餅もございます。これは、千年万年続いた御鏡でございます。お神酒もございます。ご飯も高盛にしてございます。お汁もございます。納豆汁は豆腐の実でございます。お平もございます。鍬・鎌で作ったものがたくさん盛ってございます。神様のおかげでとれたものばかりでございますが、どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ。」
とご馳走の説明をします。田の神が食し、家人もいただきます。
少したってから、
「田の神様、お粗末さまでございました。それではお下げいたします。つきましては、家族とともに神様のお下がりをいただかせてもらいます。」
と伝え、茶の間でくつろいだ後に神棚に鎮(しず)まってもらいます。家族は分けられた食膳に座り、
「田の神様のおかげで怪我も過ちもなく、仕事に精が出て家族ともどもこの食をいただくことが
でき、誠にありがとうございます。」
とお礼を述べて、神様にさし出したものを食します。
田の神は約2カ月の間、家の神棚に留まり、2月9日の春のあえのことで田に送られます。2月が新嘗祭
(にいなめさい)であるのに対し、2月は新年の豊作をお願いする祈年祭です。翌日の10日の鍬祭りに続
き、翌々日に田うちを行い、田の神様を田の土の底にお送りします。
田に神を見い出した能登人
田の神は農神であり、盲目神または独眼神であると信じられています。長い間泥の中で田を守るために
失明されたとか、稲の葉で目を突かれて失明されたとか、稲の胚子が一つであるからだとも言われている
ようです。目が不自由な田の神をいたわりながら、数々のもてなしを行います。田に神様の存在を信じ、一
年間の米作りに願いをかけ、農作業に励むのです。
ユネスコ無形文化遺産に指定
今から5年前の平成21年9月30日に、能登のあえのことがユネスコ無形文化遺産に指定されました。無形文化遺産とは、民族音楽やダンス・劇などの芸能や祭礼、伝統工芸技術などの無形の文化財のことです。あえのことは、昭和51年に日本の重要無形民俗文化財としてすでに指定されましたが、ユネスコの指定をも受けたのでした。あえのことが世界の無形文化遺産に指定されたことは、私たち能登に暮らす者にとって大きな誇りです。
能登はやさしや土までも
あえのことは農家に伝わる素朴な風習であり、お世話になった田の神への感謝として自分の家に招待し、おもてなしをし、2か月間家内に鎮座してもらいます。また、神様と同じ食事をすることから、一種の家族の中の直会(なおらい:神撰の下ろし物を分け合って酒宴をすること)だとも言えます。
あえのことには、秋の収穫を祝う「おめでたさ」の表現に加え、自然の恵みに対する感謝の「ありがたさ」、田の神に対するお礼の気持ちの「おかげさま」など、農家の様々な思いが込められています。この風習から、能登の人々の自然に対する敬虔さと、お世話になった相手に対する細やかな配慮、そして、心の温かさを感じます。
「能登はやさしや土までも」の言葉は、こうした能登に住む人々の、人としての尊さをたたえているのではないでしょうか。