H26.3月(支えられて今日の日)
「支えられて今日の日」
 
 振り返れば、短い教職期間だったように感じます。これまで、多くの子どもたちと出会い、先生方や地域の皆さんとかけがえのない時を過ごさせてもらいました。心から感謝申し上げます。

 38年間の教員生活は、子どもの心を掴むための悪戦苦闘の日々であったと思います。初任校で4年生を担任し、いきなり私の前に立ちはだかる、大柄で目つきの鋭い二人の男子児童に悩みました。どうして攻撃的な行動ばかりとるのか、未熟な私には理解できず、涙のにじむ眼で理由を教えろと睨みつけるしかありませんでした。今なら、彼らの思いに寄り添うことができます。児童の表情は様々ですが、清新でキラキラと輝く笑顔にいつも希望を与えられ、崇高な職務を全うできたことは大きな喜びです。

 私が教師としての魅力を持ちたいと願ったのは、地元の小さな学校に帰った7年後のことです。そこの教頭は、若い私とはいくつも年が離れているのに、常に多くの児童に囲まれていました。私は密かにその理由を探り続けました。そして、ある日ついにわかったのです。それは、表情豊かに与えられる正当で肯定的な評価でした。次の日から早速実践。しかし、そう簡単にはうまくはいきません。正当な評価など、一朝一夕にできるはずもなかったのです。それをきっかけに、私は新たな教師への道を歩み始めました。

 これまで、「子どもの持ち味を」と酒を酌み交わしてくれた温かい保護者、失敗しても「思いっきりやれ」とはっぱをかけてくれた上司など、多くの方々からのご教示と激励に支えられました。お陰様で今日の日を迎えることができ、本当に幸せに思います。 
H26.3月(世界は自分の中に)

世界は、自分の中に

                       

 42名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

平成24年4月に入学して早6年、皆さんは小学校の教育課程を立派に修了し、今日の日を迎えることができました心からお祝いします。

 さて、昨年12月に取り組んだマイ椀づくり。どの作品にも、それぞれに思いを込めたモチーフが描き出されていました。最も多かったテーマは、「家族」と「夢」に関するものでした。父や母、兄弟に感謝を伝え、家族の幸せを祈る作品や、いろいろな花や動物を彫り込み、花言葉と動物の特徴を引き合いに将来への夢を表現した作品がたくさん並びました。

その中で最も私の目を引いたモチーフは、「成長」です。その一つは「階段」で表現され、もう一つは「樹木」で表されていました。「階段」は一段目を手前に配し、奥に向かって登るように構成されており、樹木」は若芽が出て、どんどん大きく伸びていく過程を横並べにしてありました

この二つの作品に共通するのは、自分の成長をしっかり見つめているということです。階段は心の成長を表し、樹木の高さは体の成長を意味するのでしょうか。どちらも自分が歩んできた道を振り返り、その歩みを客観的で、正当に評価しています。このように自らの成長をとらえることのできる人こそ、人生の勝者です。この作品を眺めていると、なぜ自分が成長できたのか、これからどこに向かえばよいのかといったつぶやきの声が聞こえてくるように感じました。皆さんがお椀に刻み込んだ成長の姿や感謝の心、将来の夢を携え、中学校のページを力強く開いてほしいと願っています

新生輪島中学校には新たな出会いがいっぱい待っています。広くて深い知識との出会い、様々な人との出会い、それに、自分自身との出会いなどです。出会いはとても興味深いものであり、自らの可能性を高めてくれるものでもあります。記念すべき第一期生としての活躍に、心からエールを送ります。 

最後に、「世界は、自分の心の中に映し出されている」という言葉を贈ります。これは、人生が自分の思い描くように進んでいくことを表しています。どうか、自分のよさを正しく理解し、さらに伸ばし、広めていって下さい。未来はあなたのためにあるのですから

H26.2月(優れもの授業モデル)

すぐれものとしての授業モデル  

本校の学校研究の産物である国語と算数の授業モデル。これは優れものだ。どう優れているのかという疑問への解答は、このモデルを実践・検証することによって与えられるだろう。そして、このモデルの価値を理解した教師は、よい授業の実践者であるはずだ。

 授業モデルには学習過程の4段階それぞれに、必須事項と選択事項が明示されている。必須事項は、次の通りである。

     <国語科>

          つかむ場面・・・①第三次の言語活動、児童の実態とマッチングした課題設定
               ②課題の文末表現「・・・だろうか」  
     考える場面・・・ ③考えの見取り
              ④考えの広め方 
     深める場面・・・ ⑤児童同士をつなげる話し合い
              ⑥構造的な板書
      まとめる場面・・⑦まとめの記述 
                                ⑧学びを試す

  <算数科>

     つかむ場面・・・①見通しの判断
     考える場面・・・②考えの見取りと広め方
     深める場面・・・③素朴な考えから洗練した考えへ 
              ④考えのよさと有用感の気づき
                                ⑤切り返し発問
                                ⑥構造的な板書
           まとめる場面・・⑦適用問題による活用
                                ⑧まとめの記述
 
 授業を評価する時、この8つの必須事項ができているかどうかチェックを入れてほしい。45分間で8つのすべてをクリアーすることは容易なことではないが、私たちは常に完璧な授業を目指さなければならない。

H26.1月(新年訓話)

新年訓話

 
 全校の皆さん、新年あけましておめでとうございます。2014年がスタートしました。

新しいという言葉を聞くと、なんだか気持ちがすがすがしくなります。そして、今年は午年、何でも「うま」くいきそうな予感がしますね。学校図書館の場所が移動し、1階が第1図書室、2階が第2図書室と名前も新しくなりました。そして、書き初め大会。書き初めとは今年初めて書を書くことです。きっと、「うま」い字が書けることでしょう。

元日に、みなさんはどんな願いを立てましたか。私は、家族みんなが健康であることと、河井小学校の一人ひとりがすこやかに育ってくれることを願いました。この願いはきっとかなえられると信じています。

 3学期は1年間の締めくくりの学期であるとともに、次の学年に進級するための準備期間でもあります。52日間しかありません。

6年生のみなさんは、もっと少ない48日間です。その最後の日が、3月18日の卒業式です。皆さんは記念すべき輪島中学校の第一期生になります。新たな伝統を築くことのできる力を確実に身につけるために、小学校最後の学習をしっかり修め、胸を張って卒業して下さい。

中学校に入ると、小学校とは違う2つの力が必要になります。その1つは、「予習する力」です。中学校では学習量が大幅に増えるので、どの先生も小学校より速く授業を進めます。だから、生徒は前もって教科書に目を通しておき、大体の学習内容をつかんでおくことが大切です。しかし、予習をしておいても、次の日の授業でまたわからなくなる場合があります。そのままに放っておくと、その次の授業に影響が出てきます。だから、2つ目の「復習する力」が必要です。小学校でしていた家庭学習との違いをよく理解し、3学期の内に予習する力と復習する力を身につけておいてください。

河井小学校の先生方は、だれもが厳かで感動的な卒業式を挙行し、皆さんを中学校へ送り出したいと思っています。ともに一歩一歩進んでいきましょう。

次に、5年生の皆さん、あなたたちは昨年11月に金管鼓隊の引き継ぎ式を終えました。そして、リーダーとしての役割が与えらました。これからが大事です。もう一度、自分の足元を見つめ直してください。リーダーとして人の上に立つということは、下級生があなたを頼りにして後についてくるということです。だから、みんながついて行こうと思う最上級生にならなくてはなりません。そのためには、自分から先頭を切って行動する姿を下級生に見せることが必要です。3学期を通して確かな知識と判断力、そして責任感を身につけてください。

4年生から1年生の皆さんは、一つ上の学年に進むための勉強に打ち込みましょう。

さて、ちょうど今、1年で最も寒い「寒の内」に入っています。1月5日が小寒で20日が大寒、2月4日は立春です。

みなさんは柔道というスポーツを知っていますか。柔道家の上半身と下半身はそれぞれ一枚の丈夫な柔道着だけで包まれ、足は裸足です。1対1で組み合って戦う日本生まれの格闘技です。1年で最も厳しい冬の寒の内にけいこを行うので、これを寒稽古と呼んでいます。なぜ、風邪をひいたり、けがをしたりしやすい悪条件の下で稽古を行うのでしょうか。

それは、厳しい環境の中で人間の本来持っている力が試され、精神が鍛えられるからです。寒稽古では体がつくられるだけでなく、心が強くなるのです。ひやりと冷たい畳と冷たい空気が、その力を閉じ込めようとしますが、それに負けずに立ち向かおうとする気持ちが出てくれば、自分の本当の力が発揮できます。本当の力とは底力であり、実力のことです。この強い心に支えられた実力があれば、どんな困難にも立ち向かい、乗り越えていくことができます。まるでウルトラマンのような強さですね。日本人はこのようにして強い心をつくってきました。

 河井小学校の「めざす子ども」の一つに、「たくましい子」という文字があります。たくましいとは、体が丈夫なことに加えて心が強いということです。3学期は、この子どもに近づくことのできる絶好の時期だと言えます。

「たくましい子」になるために、1日1日、1時間1時間を大事にして3学期の学校生活を送りましょう

H25.12月(研究裏話)

           研究裏話

 平成25年も残りあとわずかになりました。本校教育進展のためにお力添えをいただきました保護者の皆様、地域の皆様、関係者の皆様、ありがとうございました。お陰さまで、2学期最後の日を終えることができました。

神聖なる願い
 さて、私は終業式の講話で、元日には神聖な気持ちで新年の願いを立ててほしいことと、その願いが強ければ夢は必ず叶うことを児童に伝えました。アメリカの大リーグで活躍しているイチロー選手は、自著の中で、「ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただ一つの道」と述べています。どんな時にも目標を見失うことなく、確かな歩みを続ければ夢は叶うことを教えています。

大谷教授
 さて、すでにご案内のように、私たちは国語科と算数科の授業モデルづくりを目標に掲げ、研究を進めています。一年次は、算数科の授業モデルの構築を目指し、研究を開始しました。算数科という教科の持つ特性を理解するために、金沢大学教授の大谷実先生のお力をお借りすることにしました。先生は数学教育学を専門分野とされ、金沢大学付属高等学校長も務めておられます。また、ご出身が輪島市ということもあり、快くお引き受け下さいました。たくさんのご助言をいただき、平成24年度の末にはついに算数科授業モデルを完成させることができました。

苦手意識
 今年度に入り、でき上がった算数科授業モデルの実践・検証と並行させ、国語科説明文の授業モデルづくりにも着手しました。スタート時は、国語科に苦手意識を持つ教員がほとんどでした。その最大の理由は、算数科はだれの目にもはっきりしたゴールが見えるのに比べ、国語科ではそれが漠然としていて分かりにくい点にありました。説明文に限定したのは、理詰めの文章構成が算数科と似ている点があるのではないかという淡い期待の表れでもあったのです。
 まず、初めに説明文における指導事項の系統性を一覧表にし、理解し合うことから始めました。その後、6月に初めての国語科3年生「ありの行列」の模擬授業を全教職員で行いました。8月には石川県教育センターの諸江指導主事をお招きし、講話を受けました。この2回の研修会が基盤になり、国語科説明文の授業モデルの原型ができ上がりました。ぼやけていた国語科のゴールは、「単元全体を貫く言語活動」にあることがわかりました。つまり、三次にどんな目標を置くかが重要であるとの結論を得たのです。

輪島塗学芸員をめざす
 五里霧中にゴールが浮かび上がったのですから、次はアイディア勝負になりました。その1つが、第6学年の担任2人が設定しためざせ、輪島塗学芸員です。説明文『鳥獣戯画を読む』~この絵、わたしはこう見る~の単元のゴールを、輪島漆芸美術館が所蔵する作品を鑑賞し、その解説文を書くことに置いたのです。子ども達の目は輝き出しました。そして、自分が解説員になる日を夢見るようになりました。その後、漆芸美術館学芸員の熱い思いが後押しし、写真に映った作品を解説する文章づくりから、館内で実物を見ての解説文づくりへと発展しました。そして、平成26年1月10日(金)に、輪島漆芸美術館の特別なお計らいにより、当館での成果発表会で解説文を披露するという夢が実現しました。

目的意識
 国語を苦手にしていた教師は、教科の目標がどこにあるのか見つけられませんでした。一方、児童は何のために教科書を学ぶのかという目的意識が希薄でした。しかし、国語科の授業モデルづくりに取りかかることによって、教師の研究心と児童の目的意識に火が付きました。両者の心の火を灯させたもの、それは、本物を見極めたいと願う神聖な気持ちであったと思います。
H25.11月(あえのこと)

能登に伝わるあえのこと

 
 能登の各地に「あえのこと」と呼ばれる田の神祭りがおこなわれています。これは、12月5日に農家が各家単位に行う田の神への豊作の感謝の意味を込めた素朴な新嘗祭であり、「あえ」には「もてなし」の意味があります。
 石川県鳳至郡誌には、次のように紹介されています。

家に迎えられる田の神
 この日、主人はかみしもに正装して「待つ」と「来る」の意味をかけて松と栗の枝を持ち、苗代田の水口に行き、

   「田の神様、今日はあえのことのお祭りでございます。この一年間田んぼを守っていただき、ありがとうございました。そろそろ寒くなったので家におあがり下さるようお迎えにまいりました。」

と唱えます。家内まで田の神を案内し、

   「田の神様、ご両人ながら長い年中を雨の日も風の日もご辛抱下され、ありがとうございました。おかげさまにて豊作を賜り、近年まれな増収を得ましたので皆喜んでおります。お寒かったでしょう。どうぞお暖まりくださいませ。」

と、すでに暖められた座敷で甘酒をふるまい、

   「お風呂が沸きましたからおいで下さい。」

と入浴を勧めます。風呂の湯加減を確かめ、背中を洗い、

   「ごゆっくりお使いくださいませ。」

と引き下がります。入浴が終わると座敷に案内し、

   「神様きこしめし下さいませ。白餅もございます。これは、千年万年続いた御鏡でございます。お神酒もございます。ご飯も高盛にしてございます。お汁もございます。納豆汁は豆腐の実でございます。お平もございます。鍬・鎌で作ったものがたくさん盛ってございます。神様のおかげでとれたものばかりでございますが、どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ。」
 
 とご馳走の説明をします。田の神が食し、家人もいただきます。
 
 少したってから、
 
   「田の神様、お粗末さまでございました。それではお下げいたします。つきましては、家族とともに神様のお下がりをいただかせてもらいます。」
           
      と伝え、茶の間でくつろいだ後に神棚に鎮(しず)まってもらいます。家族は分けられた食膳に座り、              

       「田の神様のおかげで怪我も過ちもなく、仕事に精が出て家族ともどもこの食をただくことが
        でき、誠にありがとうございます。」
 
とお礼を述べて、神様にさし出したものを食します。
 
 田の神は約2カ月の間、家の神棚に留まり、2月9日の春のあえのことで田に送られます。2月が新嘗祭
(にいなめさい)であのに対し、2月は新年の豊作をお願いする祈年祭です。翌日の10日の鍬祭りに続
き、翌々日に田うを行い、田の神様を田の土の底にお送りしす。
 

  田に神を見い出した能登人

 田の神は農神であり、盲目神または独眼神であると信じられています。長い間泥の中でを守るために
失明さとか、稲の葉で目を突かれて失明されたとか、稲の胚子が一つであるからだとも言われている
ようです。目が不自由な田の神をいたわりながら、数々のもてなしを行います。田に神様の存在を信じ、一
年間の米作りに願いをかけ、農作業に励むのです。
 

  ユネスコ無形文化遺産に指定
   今から5年前の平成21年9月30日に、能登のあえのことがユネスコ無形文化遺産に指定されました。無形文化遺産とは、民族音楽やダンス・劇などの芸能や祭礼、伝統工芸技術などの無形の文化財のことです。あえのことは、昭和51年に日本の重要無形民俗文化財としてすでに指定されましたが、ユネスコの指定をも受けたのでした。あえのことが世界の無形文化遺産に指定されたことは、私たち能登に暮らす者にとって大きな誇りです。
 

  能登はやさしや土までも
   あえのことは農家に伝わる素朴な風習であり、お世話になった田の神への感謝として自分の家に招待し、おもてなしをし、2か月間家内に鎮座してもらいます。また、神様と同じ食事をすることから、一種の家族の中の直会(なおらい:神撰の下ろし物を分け合って酒宴をすること)だとも言えます。
    あえのことには、秋の収穫を祝う「おめでたさ」の表現に加え、自然の恵みに対する感謝の「ありがたさ」、田の神に対するお礼の気持ちの「おかげさま」など、農家の様々な思いが込められています。この風習から、能登の人々の自然に対する敬虔さと、お世話になった相手に対する細やかな配慮、そして、心の温かさを感じます。
    「能登はやさしや土までも」の言葉は、こうした能登に住む人々の、人としての尊さをたたえているのではないでしょうか。
 
H25.10月(子育てに全力を)

  子育てに全力を

 子どもはご家族の宝であり、地域の宝、国の宝です。しかしながら、宝物にするための道のりは決して平坦なものではありません。家庭で暴力を振るようになっては困りますし、社会に出てから人の物をとったり、心を傷つけたりする人間になるようではいけません。 

  子どもは自然に育つわけではなく、近くにいる人々からさまざまな影響を受けて成長します。その一例が、オオカミ少年の話です。オオカミに育てられた人間の子どもが、地べたを這って皿の中のスープを飲むようになりました。育つ環境によって子どもの習慣は変わります。

 子育ての責任は、親になった者に課せられます。今、お子さんの家庭でのしつけをしっかりしなければならない時です。お子さんを光り輝く宝物にするため、子育てを生活の中心に据えましょう。たとえ仕事が忙しくても、子育てを最優先し、お子さんを立派な人間に育てなければなりません。

子育ての効果を上げる特効薬は、愛情です。いつでも、どんな時でも子どもに最高の愛情を注ぎましょう。その上で、人間としてしなくてはならないこと、してはいけないことをはっきりと教える必要があります。幼少期に親の言うことを聞かないで駄々をこねるようなら、親の厳しい態度を見せることも必要です。年齢が上がり、様々な悩みを抱えるようになった時には、本人の気持ちに寄り添って心情を受容し、経験に裏付けされた人生の先輩としての適切なアドバイスをしてあげて下さい。

子育ては、お子さんが自立するまでの限られた期間に行われる親の責務です。今この時を大切にして、全力を挙げて子育てに当たってほしいと願っています。

H25.9月(空気と水の体積変化)

空気と水の体積変化

 平成22年度の石川県基礎学力調査の6年生理科に、物質とエネルギー分野の「閉じ込めた空気と水の体積変化」の問題が出された。この設問に対する県全体の正答率が48.3%、誤答率が30.6%であったが、驚くべきは無解答が21.1%と全設問中で最も高い値だったことだ 

 「空気と水の体積変化」は、4年生で学習する単元である。注射器の中に空気を閉じ込めてピストンを押せば空気は縮み、手を離すとピストンは元の位置に戻る。それに対し、水を閉じ込めた場合は、ピストンは全く動かず、水は縮まないことを学ぶ。

 しかし、この問題は授業で行われるどちらの実験でもなかった。1つの注射器の中に、空気と水の両方が閉じ込められていたのである。問題文は、「手でピストンをおすと下がったが、この時注射器の中の水面はどの位置にあるか、図の中に線で書きなさい。」というものだった。

この設問に挑んだ6年生の約半数は、正しい水の位置を答えることができなかった。しかも、お手上げ状態の児童が2割近くもいたということは、この問題を相当に難しく感じていたものと想像できる。

私は、無解答だった児童の心理を次のように考えた。空気と水が組み合わさった実験をしていないので、「そんなもんわかるわけがないや」と高をくくってしまったのではないか。つまり、この問題の解決に、既習は活かされなかった。しかも、学んだことにぴったり当てはまる場合はいいが、少しひねりを加えられると対応できない・・・。

そこで、児童には学んだことのない課題に出会っても、これまでの知識をもとに考えれば答えにたどり着く場合があることを経験させることにした。例えば、注射器の中に空気と水が混ざっていたとしても、それを別の実験として捉えるのではなく、すでに学んだ空気の性質と水の性質の知識を活かせば、水の位置は変わらないという結果を予測することができること。このことを児童の考えに加えるのである。そして、それを支えるのが根拠と関係付けであると。

 話は変わるが、大阪教育大学名誉教授の鈴木善次氏の『科学における「創造性」とは何か~ニュートンの研究を事例に~』を以前読んだ。そこで、鈴木氏は「(科学における)創造性は、既存の知識の有意義な分解と有意義な再結合を生み出す能力である」と述べている。有意義な分解とは既存の知識・データ・技術などを参考にすることであり、有意義な再結合とは創造物を生み出すことである。さらに、創造性の発現にとって重要なのは類推(「類比」ともいう)という方法であるとも記している。

 この例示として、鈴木氏はニュートンの「万有引力の法則」の発見に至るいきさつについて論述している。この法則は、コペルニクスやガリレイ、ケプラー、ブラーエ、デカルト、ホイヘンス等の天文学上の重要な研究の後に発表された。鈴木氏は、これらの人物の中で、特に直線運動に関するガリレイの考えと、回転運動に関するケプラーの法則にニュートンが着目した点を重視する。そして、両者に違いはあるものの、その類似性を見出し、類推して導き出したのが万有引力の法則ではないかと結論付けている。さらに、『ニュートンは、既知の「情報」の内容をしっかりと把握、理解していた』ことにも言及している。

 空気と水の体積変化には、明らかな違いがある。これを別々の事実として理解するだけでは、両者が混在した場合にどちらがどう変化するのか、あるいはしないのかを考えることは難しいかもしれない。しかし、4年生で学習した時に空気がどのように縮み、水はどんな手ごたえで縮まないのかを実感し、それぞれの様子をイメージし、両者を比較していれば、一度もやったことのない実験ではあるがその結果を予測できたのではないかと思う。つまり、空気と水がそれぞれに持っている性質を根拠とし、空気と水の性質の関係付け(別の性質を持っていること)ができれば、少なくとも無解答の児童はいなかったのではないか。そして、この根拠を取り出す力と関係付ける力の二つを使って正答を導き出せた児童は、創造的に考えることができたと思うのである。

H25.7月(サンショウウオ)

ホクリクサンショウウオ

先日、他町の小学校へ道徳授業のゲストとして招かれ、3年生の児童の前で話す機会を得た。サンショウウオを題材にした石川版の道徳副読本「どうとくいしかわ」を使った研究授業が行われたのである。使われた資料名は「ホクリクサンショウウオ」、主題名は「自然を守る」、価値項目は、自然愛・動植物愛護である。
「ふるさとがはぐくむ いしかわ どうとく」は、石川県教育委員会が平成23年度より低学年から順次作成したもので、石川ならではの豊かな自然や風土、日々の暮らしの中に受け継がれている歴史や伝統・文化などを題材にし、郷土を愛する心や故郷に誇りを持つ子どもを育てることを目的にしている。この3年生向けの資料は、絶滅危惧種として県のレッドリストに載るホクリクサンショウウオという大変貴重な動物を題材に、実際にあった話をもとにして地元の教師が作成した。資料には、生き物好きな児童が学校近くの用水でその幼生を発見し、クラスのみんなで飼いたいと願う気持ちと、それはよくないのではないかと考え、飼うことを断念しようとする気持ちの葛藤が描かれている。終末では、生き物をもとの場所に戻す行動へと結びつけ、自然愛を育む内容になっている。
授業では、主人公のひろきが「ぼくとらないでおくよ。」と言った気持ちを考えさえることを中心発問にして進められた。思考は深まり、「とるとすくなくなるから」「ぜつめつきぐしゅだから」「自分の責任だから」「かわいそうだから」「そんなにかんたんにはかえないから」「しぬかもしれないから」「きれいな水にすんでいるから」など、7名の児童は懸命にひろきの気持ちを想像し、自分の考えを表出していた。すばらしい授業だった。
話は変わるが、私がサンショウウオを初めて見たのは、大学時代の白山登山の途中である。研究室で年1回夏山に登り、高山植物を観察するのが恒例行事だった。その年も別当出会いから歩き始め、南竜ヶ馬場で休憩をとり、室堂に向かっていた。砂防新道の途中には沢を渡る箇所がいくつかあり、私たちはそこに着くとリュックを下して一休みし、渇いたのどを潤すのがお決まりだった。
いつものように、清流をまたぎ、冷水を両手で汲もうとした時だった。差し出した手のひらの視線の中に、岩の上で何やうごめくものを発見したのである。四つ足で這い、緑褐色のみずみずしい膚を持つ10cm程の生物。これが、ハコネサンショウウオだった。愛らしく潤む両生類特有の眼。ぬるぬるとした感触。1000mを超える高山地帯を流れる冷たく清泉な水の中。こんなところで両生類が住み着いていることに私は驚いた。今でも、両手に乗るその写真を見るたびに、感動が蘇る。
高山の急流地に棲むハコネサンショウウオ、亜高山帯に棲むヒダサンショウウオ、平地の湧水が流れる用水に生息するホクリクサンショウウオ。進化の方向は定かではないが、どれも特異な場所に生きる種である。中でもホクリクサンショウウオは、それまでアベサンショウウオだと思われていた個体を、外形からではなく体内物質を化学的に分析した結果、1988年に新種であると認定され登録された両生類である。学名には、発見者で羽咋の竹田俊雄氏の姓名が付けられた。竹田氏がその記念にと手彫りで製作されたホクリクサンショウウオの木製模型を、私にまで下さった。
子どもたちには、生き物に驚きや感動を持って接してもらいたい。「いやーだー、気持ち悪い」で終わらせず、この資料に出てくるひろきくんのように、あらゆる生物に興味・関心を持ってもらいたい。さらに、自然の不思議さに気づき、生命の仕組みを追究する人になってほしい。そうなれば、きっと命の尊さや自然の大切さに思いを寄せることができるにちがいない。

 

H25.6月(エネルギーの話)
エネルギーの話
 
 最近、「グリーンエネルギー」という言葉がよく使われるようになりました。その目指すところは、再生可能エネルギーの利用と省エネルギー社会の実現にあり、限りある物質エネルギーの効率的な活用です。

人間も、生きる活力を得るためにはエネルギーが必要です。その源の一つは、食べ物。お腹が空くとたいていの人は元気がなくなり、へたってしまいます。最近では、ほとんどの食品にエネルギー表示がなされ、各自が摂取量を気遣うようになりました。

しかし、食べ物が満ちていれば必ず人間の活力が生まれるわけではありません。もう一つの大切な源、それは心のエネルギーと呼ばれるものです。
私は、不登校児童の心の問題について説明を受けていた時に、『心のエネルギーが不足』という言葉を初めて聞き、少し抵抗感を覚えました。心の動きは、エネルギーという科学的な用語で説明できるものなのかに疑問を持ち、エネルギーという言葉のイメージがなかなかできなかったからです。そこで、次のように考えてみました。適切かどうかは分かりませんが、体のどこかに「心」という名の容器があるとして、その入れ物の中に、心を活性化させる、車で言えばガソリンのようなもの=エネルギーが入っている。その量が多ければ、生きる活力は長続きするし、反対に少ない場合はすぐにガス欠になってしまう。このエネルギーの需要と供給のバランスがうまくとれれば、生命の活力は恒常的に保たれる、というシナリオです。
需要という視点でみると、エネルギーの量が同じであっても使い方によっては長持ちしたり、反対に速くなくなったりする場合も生じる。グリーンエネルギーのような考えで省エネができれば、活力が持続する時間は延びるはずです。また、供給という視点からは、いかにうまくエネルギーを取り込むかが重要で、心の活性剤を補充できる場所(ガソリンスタンドのような所)がどこにあるかを見つける力が必要です。この力は人によって多少の違いがあり、うまくできる人となかなかできない人がいると思われます。
人の心のエネルギー量は、周りにいる人には目には見えないので、今どういうレベルにあるのかを顔色や行動など外見からしか予測することはできません。時には、本人さえそれに気付かない場合もあると思います。

児童が学校に登校する力が、本人の心のエネルギーのたまり具合に左右されているとすれば、周囲の人間はその児童のエネルギー量を測定できる機器を開発する必要があります。この測定器を使えば、その児童に今どれくらいエネルギーがたまっているのか即座に分かるのはもちろんのこと、どんな時にエネルギーが補給され、その子の消費効率はどれくらいかなどを記録することができるようになります。そのデータを分析することで、ひょっとすれば心の再生可能エネルギーを発見することに繋がるかもしれません。

 

H25.5月(読書の習慣化)

読書の習慣化を図る

二宮金次郎像に学ぶ

昔はどこの学校にも二宮金次郎の像が立っていました。背中には薪(たきぎ)を背負い、足にわらじをはき、視線は左手のひらに乗せられた書物に向けられています。二宮金次郎は百数十年前に実在した人物です。

金次郎はかなり大きな地主の長男として神奈川県小田原市に生まれましたが、度重なる大洪水でほとんどの田畑が埋まるなど自然災害に見舞われ、14才で父親、16才で母親が亡くなる不幸に遭い、その後は苦難の多い人生を歩みました。背中の薪は、冬を迎える前に4キロもある山から担いできたもので、書物を読みながら家路に向かう姿を重々しく映しています。金次郎は日中よく働き、夜はわらじや縄をなって弟2人の面倒を見ました。しかし、まもなく2人とも母の実家に預けられ、金次郎は隣のおじさんに引き取られます。夜遅くまで本を読んでいるとおじさんから怒鳴りつけられたこともあったと記されており、本当に金次郎が読書好きだったことを物語っています。

 苦難の末に成人した尊徳(金次郎)は、世のため人のために生涯を捧げ、各藩の財政や農村の立て直しに力を尽くしました。

 読書は豊かな人間を育てる

昔から「読み」「書き」「そろばん」と言われるように、学びの基本は文字を読むことにあります。読書によって私たちはたくさんのことを知り、色々な人の考えにめぐり会うことができます。それによって、生きる知恵を得るとともに、豊かな心が育ちます。

 学力の高い子ほど読書好き

全国学力学習状況調査によれば、学力の高い子ほど、読書好きであるとの結果が出ています。このことは、算数など他の教科と読書との間にも当てはまるようです。

 10年間も図書ボランティアが支える

平成15年度に河井小学校の図書ボランティアグループ「ぼちぼちいこう会」が発足して、早11年目になります。第1回の活動日の記録を見ると、

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・日 時  平成15108日(水)1300

・参加者  7名

 ・活動内容 初顔合わせの為、自己紹介

   ①活動日  毎週木曜日 1330

   ②お話し会 月1回、木曜日 1300

   ③本の修理・整理・壁面飾り付け

・感想など 

    小学校ボランティアとして初めての集まりでしたが、皆それぞれに本が好きで、子供達に是非良い本を読んでもらいたいとの特技・特色を活かして本が大好きな人たちの輪を拡げていけたらと意を固めました。細く長く楽しく頑張ります。

 ・連絡事項
   子どもたちの色々な感想や意見を聞けるアンケート箱があればよいと思います

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 と綴られています。
 それから10年間、図書ボランティアの皆さんのおかげで、本校児童に豊かな情感や確かな言語力が育まれてきました。その功績は計り知れません。現在、4名の方々が活動されており、お子さんがもう小学校に在籍していない方もおいでです。保護者の皆さんや地域の皆さん方にも、図書ボランティアに参加していただければ幸いです。
 
 
家族読書を大切に

  本校では、平成23年度より家族読書を始めました。その取り組み方法として、
  1 家族が子どもに読み聞かせをする
  2 子どもが家族に読み聞かせをする
  3 家族で一緒に読む
  4 本の紹介をする

の4つを提案しています。
 ご家庭でのお子さんの読書習慣づくりとともに、親子のコミュニケーションを図る大切な時間にしていただきたいと思います。

H25.4月(始業式訓話)
 
  始業式訓話
 
 校庭の桜のつぼみが膨らみ始め、舳倉島からの潮風に乗って清らかな春の香りが漂っています。

今日の皆さんの顔はとても凛凛しく、これまでと少し違うように見えます。それは、きっとみなさんが1学年ずつ進級したからなのでしょうね。本当におめでとう。新1年生42名と7名の新しいお友達を迎え、全校で245名のみなさんがここに集い、平成25年度の始業式を迎えられたことを大変うれしく思います。特に、この3月に閉校した西保小学校の全員の皆さんが、河井小学校に来てくれたことは、この上ない喜びです。

さて、今日から新しい学年がスタートします。去年まではできなかったことでも、この1年間でできるようになることがたくさんあると思います。どうか、目標を持ってチャレンジしてください。

この体育館の左上の壁と、各教室の黒板の上に、皆さんがどんな子に育ってほしいかを示す額が飾ってあります。これは、めざす児童像といい、みなさんにこんな子どもに育ってほしいという先生方の願いが3つ書かれています。

その1つは、「よく考え、やり遂げる子」です。

 この子は、今まで難しくて分からなかったことが分かるようになり、できなかったことでもできるようになります。よく考えるというのは、なぜそうなのか理由や根拠を見つけることです。やり遂げるとは、途中でやめないで最後まで行うことです。そのためには、がまん強い心が必要です。

2つ目は、「協力し、進んでやる子」です。

この子は、自分の力だけではできないことでも、友達の力を借りてやることができます。だから、この子は自分を助けてくれる友達を持っています。よい友達を持つことができたのは、自分から進んでその人にやさしくしてあげたからです。心のやさしい人は、よい友達を持つことができます。

3つ目は、「明るく、たくましい子」です。

この子は、出会う人に元気よくあいさつができます。明るいというのは、笑顔でいられるということです。たくましいというのは強いということです。出会った人に、恥ずかしがらずに自分から「こんにちは」とあいさつができるのですから、こんなにたくましいことはありません。

今日は1年間のスタートの日ですから、皆さんに目指してほしい子どもの姿を三つお話しました。どれも簡単ではありませんが、どうかこれからの目標にしてください。

 

 

 

 

河井小の教育グランドデザイン