日誌

令和8年1月14日(水)〜16日(金) ふるさと教育及び創造的復興推進事業(他地域との交流)

 石川県能登地方では、令和6年能登半島地震ならびに、奥能登豪雨災害による被災経験をふまえ、もとの町並みの復旧を目指すというよりも、災害に強く持続的な町を構築していくための「創造的復興」が求められています。そこで、石川県で指定されたふるさと教育及び創造的復興推進事業の一貫で、本校を代表して2年生5名が阪神・淡路大震災を経験された兵庫県での交流活動を実施しました。

 メインの活動として、1月15日(木)に、兵庫県立舞子高等学校での「1.17震災メモリアル行事『阪神・淡路大震災を忘れない〜21世紀を担う私たちの使命』兼 ひょうごユース防災・減災ワークショップ」へ参加させていただきました。舞子高校は、阪神・淡路大震災の教訓をうけて確立した防災教育を推進・展開する環境防災科を立ち上げ、防災・減災について先進的かつ専門的な取り組みをしている学校です。 前半は、神戸市出身の防災士で、シンガーソングライターをされている石田 裕之 氏による演奏会や、姫路市長 清元 秀泰 氏より講演をたまわりました。後半に設けられた分科会では、各ブースに分かれて防災・減災について学びを深めました。門前高校は、舞子高校環境防災科の生徒と交流し、舞子高校より石川県でのボランティア活動についての報告を聞き、本校代表生徒より石川県での被災経験や門前高校での学校生活についてお話しました。以下、生徒からの感想です。

 

「舞子高校の震災メモリアルに参加させてもらい多くのことを学んだ。まず、阪神淡路大震災から31年経った今でもあのような行事をし、減災に取り組んでいるところに関心を持った。次に舞子高校さんは石川県とは縁もゆかりもないなかでボランティア活動をしていて、自分もそのようなことがあれば他の地域でも積極的にボランティア活動に参加したいと思った。」

 

「舞子高校さんは自分たちがしていないような、音楽を一緒に奏でたり実際に県外の被災された方と交流を深めたりということなどをしていて、とてもすごいと思った。自分達では想像もつかないような活動をしているので、真似していこうと思った。実際に被災地に行って交流を深めることも大事だなと感じた。これからもこのような活動を行っていきたいなと思った。」

 最後には、グラウンドに大勢で集まって炊き出しをいただく「舞子千人鍋」にて、出来立ての豚汁を食べました。避難所や門前高校でいただいた温かい炊き出しで、心もぽかぽかした時のことを思い出しました。この度は震災メモリアル行事へ招待いただき、誠にありがとうございました。今後とも、舞子高校との交流を続けていき、防災・減災の担い手を育ててまいります。

 

 

 交流事業を終え、神戸市私立保育園連盟へ表敬訪問をおこないました。経緯として、兵庫県で保育士として勤務されている林さんという方が、地元 輪島市鴻巣地区での被災経験、そして、令和6年能登半島地震に追い打ちをかけるように起こった奥能登豪雨災害を経て、能登へ支援したいと声をあげてくださり、神戸市私立保育園連盟より、輪島市の学校に通う生徒全員に5kgのお米を届けていただいたことがありました。当時は、米の高騰が騒がれていた2024年の12月頃で、門前高校はちょうど門前公民館への移転で慌ただしい時でした。本校には、寮生活で自炊をしている生徒もおり、お米の支援はどの生徒にとっても大変助かりました。

 連盟の方々からお一人ずつご挨拶をいただき、支援へ至った経緯ならびに、阪神・淡路大震災での各々の経験を伝えてくださいました。私たちも、震災当時のことや支援をいただいたことへの感謝をようやく伝えられました。以下、生徒からの感想です。

 

「阪神淡路大震災を経験した方々は、もう31年経つけれど、まだ忘れられないという方が多いと分かりました。保育園連盟の方達は、阪神淡路大震災が起きた時にたくさんの助けをもらい、その恩を忘れないために能登半島地震であった能登の学生に貴重なお米を支援してくださった。保育園連盟の方達には、助けてもらったら、次は、助けたいという思いを持ってほしいと言っていたので、自分は何ができるかをよく考えて、行動していきたいです。」

 

「舞子高校での活動の後、福祉センターで神戸市私立保育園連盟の方々に震災当時の話をしてもらった。阪神・淡路大震災はもう31年前だというのに皆さんは詳細まで覚えていてとても衝撃が大きかったんだと思った。その当時、みなさんは、高校生や大学生であったということを聞き、自分と重ね合わせて話を聞いた。そして、こんな時期(青春)に被災したことをとても心配して、いたわってくれたので、嬉しかった。今後、私達も何処かで災害が起こったら同じように支援してあげたい。」

 

 震災後にいただいたご恩に対し、感謝の気持ちを伝えられないもどかしさ。それは、阪神・淡路大震災から生き抜いて、ボランティアに支えられた人々も同じように抱いていた感情だろうと思います。また、被災したときの辛さ・悲しみ・喪失感などの気持ちがわかるからこそ、手厚い・あたたかい支援をしていただけたと感じています。このように、誰かからいただいた支援を、別の同じような機会で還元していくことを、兵庫県の人たちは大切にしています。私たちも、今どこかで困っていたり、助けを求めていたりする人たちへの支援の輪を広げていきたいと思います。この度は素晴らしいご縁をいただき、また輪島市への支援をいただいたこと、感謝申し上げます。

 翌1月16日(金)は、「人と防災未来センター」を見学しました。映像資料や阪神・淡路大震災の遺した展示品などを通して、災害から復興していった道のりを肌で感じ、災害への備えの重要性も再確認することができました。以下、生徒からの感想です。

 

「人と防災未来センターの見学を振り返っての感想・気づき・みんなに伝えたいことは、今地震から2年経って、地震に対して警戒心が溶けてきている頃かと思うので、こういう時に地震が来て被害に遭ってしまうことがあるから、いつでも逃げる準備をしておくことが大事だということだ。例えば、避難経路の確認やモバイルバッテリーの充電など、いつでも出来ることがいっぱいある。常にそういうところに目をやりながら過ごしていかないといけないんだと感じた。」

 私たちは被災した石川県で生活を送る中で、人と人とのつながりこそが心を支え、復興に向かっていくためのあたたかな力になるのだと日々感じました。人がつながり合う条件として、被災した当時、被災地にいた・いないは関係ありません。なにかしたい・しようという気持ちと、寄り添う・支える気持ちとが、被災地の時間を進める大きな力になります。

 そして、経験から得た教訓から学ぼうとし続けることが今後必要になってきます。そもそも、日本がいかに災害大国であるということを分かっていても、あるいは、これまでに被災経験があったとしても、自然への畏怖・災害への恐怖というものは容易には想像できず、知っていたとしても薄れていくものです。経験を語り継いだり、定期的に過去を振り返ったり、思いに触れるべく現地に赴いたりして、教えを継承していく必要があります。

 今年開かれる「1.17 のつどい」では、「つむぐ」という文字が灯籠でかたどられるそうです。学びを紡ぐ。絆を紡ぐ。思いを紡ぐ。能登半島で生きる人間として、この地の復興に携わり、未来への架け橋をつないでいきたいです。