ようこそ『癒しのお部屋』へ
「癒しのお部屋」の意義
数年に一度はこの部屋の意義を確認しなければならない。方向性がブレてはいけないからだ。この部屋の意義は、学校になかなか足が向かない生徒、心に晴れないモヤモヤがある生徒に安らぎと一歩を踏み出す勇気を持ってもらうことにある。だから学校生活の日常(楽しいこともあればそうでないこともある)や社会生活のあるあるを多面的(一方的な解釈はしない)に捉え、若干私感(余計なことかもしれないが)も加えながら掲載することによって、少しでも学校生活に希望を持ってくれたり、人間関係を見つめ直したりする時の手助けになってほしいと考えている。掲載するにあたって、基本には「人はどうあるべきか」というテーマが常に根底に流れているように心がけている。四季の変化や自然も大切な「癒し」の要素となる。
7年前にスタートしたこの「癒しのお部屋」。回数にして63回を数えることになった。この部屋を訪れたすべての人が癒されてほしいと願うばかりである。
異端爺(いたんじい)でした。
朝三暮四
朝三暮四(ちょうさんぼし)という言葉を聞くといつもニヤけてしまう。うれしそうにどんぐりの実をもらっている愚かな猿たちの顔が思い浮かぶからです。ご存じのように朝三暮四とは中国宋の国の狙公(そこう)という人が猿を飼っていたが貧乏になり、猿たちに「朝に三個、夕方に四個で足りるか」と尋ねたところ、みな激怒。そこで「朝に四個、夕方に三個」と再提案すると、どの猿も大喜びしたとう故事。目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないことのたとえです。
この前、A子さん(匿名希望)がネットショッピングである商品を探していました。やっと見つけた商品は1万円(送料無料)で、A子さんはもっと安いのを探していたら9500円(送料500円)の同じ商品を見つけ、大喜びをしました。
A子さんは誰か秘密です。
異端爺(いたんじい)でした。
一片の良心
先日、息子に頼まれ通学定期を買いに七尾駅を訪れた。窓口で支払いをするために、クレジットカードの入った財布をジャンパーのポケットから出したところ、足元に1万円札があるのに気付いた。財布を出す時、ポケットから落ちたんだなと思い、拾って自分のポケットに入れた。定期券を購入し、駅から出て帰ろうとした時、ふと思った。あれっ?「自分は1万円札をポケットに入れていたかな?」と。あの1万円札は落ちていたものだったのか。自分の性格から1万円札を裸でポケットに入れるわけないしな……。このまま帰ればネコババしたことになる。ヤバイぞ。悪いことは重なるもので、前日、妻から1万円札2枚を預かったことははっきり覚えているのだ。それをそのままポケットに入れたかもしれないぞ。入れたかどうかの記憶があいまいなのだ。預かった2万円の1万円は、地区の万雑で、もう払いに行った。あれっ?あとの1万円はどうした? 記憶がない。そのままポケットに残っていたことはあり得る。妻に電話して1万円返したか聞いたが、もらっていないという。これは困った。仕方がないので駅の窓口に戻り、駅員さんに事情を説明した。駅員さんは困った顔をして「落とし物として処理しますかね。一応防犯カメラを確認してみます。」 防犯カメラ? なるほど! もし写っていれば、このモヤモヤが一気に晴れる。駅員さんは奥の部屋に確認しに行った。駅員さんの話によれば、防犯カメラには自分が拾ってポケットに入れた様子が写っているという。ネコババなら犯罪者だ。防犯カメラには床まで写らないので、前から落ちていたかどうかは分からないという。万事休す。駅員さんは自分の前の客、さらにその前の客と念入りに調べてくれた。前の2人の客はカードで支払ったり、千円札で支払ったりしており、1万円札は使っていないという。なんやかんやで30分ほど過ぎた頃、奥から歓声があがった。どうやら真相が分かったらしい。駅長さんらしき人が現れて説明してくれた。事実はこうだ。自分より3人前の客(1時間ほど前だという)が、支払いをするために財布から1万円札をだして、いったん置いて何かほかのことをしている時に、ひじに当たって知らない間に床に落としてしまったらしい。本人はそのことに気付かず、支払いのためにまた財布から1万円札を出してそれを駅員に渡したようなのだ。その様子が防犯カメラに残されていたのである。
これでやっとモヤモヤが晴れた。犯罪者にならなくて良かった。でも1時間もの間、何人かの客が訪れたにもかかわらず、誰も1万円札には気付かなかったことが不思議である。駅長さんらしき人は、床が1万円札の色に似ているからかもと言っていた。自分の記憶がしっかりしていれば、見つけたとき、すぐに落とし物だとわかったのに。本当に駅員の方たちに迷惑をかけてしまった。落とした客は駅員さんが知っているらしく、あとで連絡して返しておくと言っていた。またまたほっとすることになった。(あとで思い出したのだが、もう1枚の1万円札は宝くじを買うのに使っていた。)
拾ってそのまま持ち帰っても何の問題も起きず、無意識のうちに過ぎ去っていったかもしれない。心の片隅にある一片の良心に感謝した出来事であった。
異端爺(いたんじい)でした。
タヌキのポン太くん
《ポン太くん》
我が家の庭にたまにタヌキが現れることがある。オスかメスか分からないが「ポン太くん」と名付けている。庭石の上に下げたお仏飯をすずめのために置いてあるのだが、それを食べにやってきているようだ。この前、すずめが全部食べてしまったので、ポン太くんが寂しそう(なのかわからないが)にしていたので、お昼に食べていたおでんの大根や人参、イモ、油揚げを窓から少し投げてやった。ポン太くんは喜んで(いるかわからないが)拾って食べていた。野生の動物にエサをやってはいけないと言われるが、また来てほしいのでついついやってしまう。我が家の前には県道が通っている。くれぐれも車に注意してくれよ。
異端爺(いたんじい)でした。
秋の雲
職員室の窓から眺めている秋の空です。早すぎる季節の移ろいを感じながら、感傷に浸っている今日この頃です。
異端爺(いたんじい)でした。