ようこそ『癒しのお部屋』へ
朝三暮四
朝三暮四(ちょうさんぼし)という言葉を聞くといつもニヤけてしまう。うれしそうにどんぐりの実をもらっている愚かな猿たちの顔が思い浮かぶからです。ご存じのように朝三暮四とは中国宋の国の狙公(そこう)という人が猿を飼っていたが貧乏になり、猿たちに「朝に三個、夕方に四個で足りるか」と尋ねたところ、みな激怒。そこで「朝に四個、夕方に三個」と再提案すると、どの猿も大喜びしたとう故事。目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないことのたとえです。
この前、A子さん(匿名希望)がネットショッピングである商品を探していました。やっと見つけた商品は1万円(送料無料)で、A子さんはもっと安いのを探していたら9500円(送料500円)の同じ商品を見つけ、大喜びをしました。
A子さんは誰か秘密です。
異端爺(いたんじい)でした。
一片の良心
先日、息子に頼まれ通学定期を買いに七尾駅を訪れた。窓口で支払いをするために、クレジットカードの入った財布をジャンパーのポケットから出したところ、足元に1万円札があるのに気付いた。財布を出す時、ポケットから落ちたんだなと思い、拾って自分のポケットに入れた。定期券を購入し、駅から出て帰ろうとした時、ふと思った。あれっ?「自分は1万円札をポケットに入れていたかな?」と。あの1万円札は落ちていたものだったのか。自分の性格から1万円札を裸でポケットに入れるわけないしな……。このまま帰ればネコババしたことになる。ヤバイぞ。悪いことは重なるもので、前日、妻から1万円札2枚を預かったことははっきり覚えているのだ。それをそのままポケットに入れたかもしれないぞ。入れたかどうかの記憶があいまいなのだ。預かった2万円の1万円は、地区の万雑で、もう払いに行った。あれっ?あとの1万円はどうした? 記憶がない。そのままポケットに残っていたことはあり得る。妻に電話して1万円返したか聞いたが、もらっていないという。これは困った。仕方がないので駅の窓口に戻り、駅員さんに事情を説明した。駅員さんは困った顔をして「落とし物として処理しますかね。一応防犯カメラを確認してみます。」 防犯カメラ? なるほど! もし写っていれば、このモヤモヤが一気に晴れる。駅員さんは奥の部屋に確認しに行った。駅員さんの話によれば、防犯カメラには自分が拾ってポケットに入れた様子が写っているという。ネコババなら犯罪者だ。防犯カメラには床まで写らないので、前から落ちていたかどうかは分からないという。万事休す。駅員さんは自分の前の客、さらにその前の客と念入りに調べてくれた。前の2人の客はカードで支払ったり、千円札で支払ったりしており、1万円札は使っていないという。なんやかんやで30分ほど過ぎた頃、奥から歓声があがった。どうやら真相が分かったらしい。駅長さんらしき人が現れて説明してくれた。事実はこうだ。自分より3人前の客(1時間ほど前だという)が、支払いをするために財布から1万円札をだして、いったん置いて何かほかのことをしている時に、ひじに当たって知らない間に床に落としてしまったらしい。本人はそのことに気付かず、支払いのためにまた財布から1万円札を出してそれを駅員に渡したようなのだ。その様子が防犯カメラに残されていたのである。
これでやっとモヤモヤが晴れた。犯罪者にならなくて良かった。でも1時間もの間、何人かの客が訪れたにもかかわらず、誰も1万円札には気付かなかったことが不思議である。駅長さんらしき人は、床が1万円札の色に似ているからかもと言っていた。自分の記憶がしっかりしていれば、見つけたとき、すぐに落とし物だとわかったのに。本当に駅員の方たちに迷惑をかけてしまった。落とした客は駅員さんが知っているらしく、あとで連絡して返しておくと言っていた。またまたほっとすることになった。(あとで思い出したのだが、もう1枚の1万円札は宝くじを買うのに使っていた。)
拾ってそのまま持ち帰っても何の問題も起きず、無意識のうちに過ぎ去っていったかもしれない。心の片隅にある一片の良心に感謝した出来事であった。
異端爺(いたんじい)でした。
タヌキのポン太くん
《ポン太くん》
我が家の庭にたまにタヌキが現れることがある。オスかメスか分からないが「ポン太くん」と名付けている。庭石の上に下げたお仏飯をすずめのために置いてあるのだが、それを食べにやってきているようだ。この前、すずめが全部食べてしまったので、ポン太くんが寂しそう(なのかわからないが)にしていたので、お昼に食べていたおでんの大根や人参、イモ、油揚げを窓から少し投げてやった。ポン太くんは喜んで(いるかわからないが)拾って食べていた。野生の動物にエサをやってはいけないと言われるが、また来てほしいのでついついやってしまう。我が家の前には県道が通っている。くれぐれも車に注意してくれよ。
異端爺(いたんじい)でした。
秋の雲
職員室の窓から眺めている秋の空です。早すぎる季節の移ろいを感じながら、感傷に浸っている今日この頃です。
異端爺(いたんじい)でした。
52の美徳
愛 いたわり 思いやり 感謝 寛大 寛容 気転 共感 協力 勤勉 決意 謙虚 コミットメント 識別 自己主張 自信 自制心 柔軟性 正直 情熱 真摯 親切 辛抱強さ 信頼 信頼性 正義 清潔 誠実 整理整頓 責任 節度 創造性 尊敬 忠誠心 慎み 手伝い 忍耐 奉仕 無執着 名誉 目的意識 優しさ やすらぎ 勇気 友好 優秀 ゆるし 喜び 理解 理想主義 礼儀 和
この52の美徳は、国や人種や宗教に関係なく、世界共通で大切にされており、すべての人が生まれながらにして持っている人格だそうです。
このすべての美徳をあなたもあなたの好きな友だちも持っており、あなたの嫌いで、苦手な相手もすべて持っているのです。なにか矛盾を感じるなぁ。
異端爺(いたんじい)でした。
癒しの1枚
暑い日が続きます。この写真は8月13日~15日に実施された中能登町の名勝「不動滝」のライトアップの様子です。少しでも涼しさを感じ、癒された心持ちになれれば幸いです。
異端爺(いたんじい)でした。
発言の真意
とある新聞記事。町議会の委員会で「今夏のプールはどうするのか」の質問。
教育長の答弁。「更衣室の3密を避けるために、女子に男女の更衣室を使ってもらう。男子は教室でも外でも着替えられる。」
傍聴した町民から「外では着替えられん」と疑問の声が上がったという。性的少数者の権利擁護や男女差別への意識が高まる中でのこの発言、いかがなものかという内容だった。
確かにその通りだと思う。でもこの記事を読んで爺が最初に思ったことは、教育長の女性に対する男としての優しさ、思いやりである。女性のためだったら男は外でもどこでも着替えてやるという心意気である。昔の人間だからそう思うのかなぁ。
紙面では教育長の一面しか取り上げていないが、女性を思う優しさが、裏に隠れているように思えてならない。人の発言の真意はどこにあるのか。将棋の指し手のように深く読まんとあかんなと思う爺でした。
異端爺(いたんじい)でした。
めだかの学校
最近、家でめだかを飼い始めた。20匹ほど大きな甕(かめ)の中で泳いでいる。見たい訳でもないのに、なぜかぼーっと見てしまう。いつの間にか癒やされているんだろうな。
童謡「めだかの学校」を思い出す。
めだかの学校は 川のなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなで おゆうぎ しているよ
「人間の学校」ものんびり仲良くやれれば楽しいだろうな。
異端爺(いたんじい)でした。
「斜男(ななお)」を引退します
後進に道を譲ります。愛弟子の斜男J(ななおジュニア)が真打に昇進できるくらいに力をつけてきました。また斜男の気力、体力の衰えが顕著で、現役続行に不安を感じていました。ここが潮時と判断した次第です。
今後は、ハンドルネーム「異端爺(いたんじい)」を襲名し、第一線から退きます。「異端爺」とは、ある分野で、正統から外れ、特異な存在とみられているじじいのことです。時々「癒しのお部屋」にゲスト出演しますので、よろしくお願いします。初代マスクマンでもありますが、いまだ目標半ばなのでマスクははずせません。お許しを。
異端爺(いたんじい)です。よろしく。
ぺこぱという芸人
ぺこぱという漫才師をご存じだろうか。右側の松陰寺という人のツッコミが話題になっているのだ。定番のツッコミは「なんでやねん」とか「よしなさい」などの否定的な言葉で返すのだが、彼のツッコミは全然違う。相手の発言に対してすべて肯定的、受容的なツッコミを返すのだ。相手が何を言おうが全てを認め、全てを受け入れるのだ。これは相手の存在をしっかり認め、個を尊重しているからできることだ。争いを好まない平和的な心や思いやりの精神にもあふれている。これはもうスクールカウンセラーの世界である。SNSで相手を誹謗中傷し、死に追いやる事件も起きているように、相手の全てを認めることはなかなかできることではない。コロナでストレスがたまっている時に、今こそぺこぱのツッコミを見習いたいものである。
【初代斜男(ななお)でした】