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大伴家持 羽咋の海

大伴家持

「之乎路(しおじ)から 直越(ただこ)え来れば 羽咋(はくい)の海(うみ)
 朝凪(あさなぎ)したり 船梶(ふねかじ)もがも」

 

「羽咋の海」がどこを指すのか、二つの説(半島西側の外海、潟湖である邑知潟)があるらしいです。
 現在の邑智潟のほとんどは干拓され水田となっています。羽咋の海が邑智潟であるならば、写真1と写真2が現在の羽咋の海です。朝凪の邑智潟の様子が写真1です。当時は写真1奥の山際までが海でした。
もう一つの説である能登半島西側の外海を写したものが、写真3です。気多大社近傍から能登半島の北側を見たものです。ところで、この気多大社には、偉大な科学者が訪問した写真があります。後日可能であるならば、博士の訪問時の写真等を掲載したいと思います。

【写真1】現在の朝凪の邑智潟

【写真2】現在の夕方の邑智潟

 

【写真3】現在の夕方に気多大社近傍から見た能登半島北側

 

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「妙」

こんにちは、校長の岡野清です。
校長室に飾られた「妙」という文字は、勤労青少年の生徒たちが多くいた時代に、その当時の生徒たちを賞賛し、敬意と尊敬を持って本校に寄贈されたものです。時代は移り変わり、現在は、様々なバックグラウンドを持つ人々の学びの場に変化しておりますが、生徒たちは、新たな世界へと飛び立つために、日々、素直に一生懸命に本校で学んでいます。そのことは、確信を持ってお伝えいたします。

 

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