校歌・校訓

 

校歌

1 富士写す高根仰ぎて
  山中は めぐる青垣
  朝日子の光かがよひ
  とよもして 鳴く鳥が音に
  のぞみは あふる

2 黒谷の水よどみなく
  苔むせる巌の淵に
  まさやけく照る月のごと
  とこしえにかはらぬまこと
  やまず たづねむ

3 白さぎの伝へも遠く
  菊の香に匂ふ 湯の里
  清らけく生ひ出でてわれら
  もろともに美しき国を
  いざや きずかむ

作詞 密田 良二
作曲 佐々木 宣男

希望
誠実
創造

大道無門

校章・校旗・校歌の制定

 学校を象徴する校章は、開校直後図案を全校生徒より公募した中から、昭和二十二年新学期早々に制定された。
 これは、四面美しい山々に囲まれた山中町の環境を表し、その中から雄々しく四海に延びゆく姿を、学習を意味するペン先に準えてその意味を示し、更に何処から見ても「山」の字模様によって囲まれ、その中央に「中」をあしらって「山中」と読ませたのである。しかもその発想の大きな因として、明治六年以来の伝統と歴史を誇る山中小学校の校章に肖して、その共通の伝統の上に新たな工夫を凝らしたわけである。
 昭和二十五年三月、第三回卒業生により待望の校旗が寄贈された。紫色の高貴な布地に鮮やかに浮かび上る金モルの校章は目に焼き着いて離れず、全校正の大切なシンボルとなった。
 更に大切なシンボルの一つとして校歌があるが、開校以来いろいろ考えられたがなかなか決まらなかった。折から、昭和二十四年五月十六日、文部省よりモデルスクール建設の指定を受け、新校舎竣工にあわせての校歌制定の声が上がり、歌詞を金沢大学教授 密田良二先生に、作曲を佐々木宣男先生にお願いすることになった。ここに三年にして校章・校旗が制定され、四年目には待望の独立校舎と校歌が完成するのである。

 

大道無門

 大道無門の石碑が昭和三十一年八月に、本校の正面に設立された。
当時の初老の会(丙辰会)から寄付の申し出があり、生徒達に指標となるものとして、小松市滝ケ原の石を使い、中西勇二校長が「大道無門」と大書し、標柱を設立したのである。真理に通ずる道には門が無く、誰でも求めさえすれば達し得るという気持ちで、ひいては大道を堂々と闊歩し得る人間を育みたい、大道にまっしぐらに飛び込んでゆける人間になってほしいという願いがこめられている。
 「大道無門」とは中国の宋時代の僧、無門慧会(えかい)によって著述された禅門の逸話集の「無門関」の序説に出ていることばである。彼が門下の修行者達のために引用訓示したもので、全部で四十八則からなっている。
 禅師は山の中の石室にこもり座禅を六年間し更に参禅を重ね眼を開かれたという。髪はぼうぼうとし身は鶴のようにやせ、常に破れ布を着、庶民的な明朗な禅僧だったそうである。
 一般に禅僧では道に入るに定まった門はなく仏性の自己の本心を自覚し、そこを依所せよと説かれている。「大道無門千差路有り・・・・」で終わる序説のことばは、現代風に解釈するなら、学問の道はどこからでも入り、この学舎で得た四十八則(校則や教科の勉強)を身につけたなら、天下に恐ろしいものはなく、どこからでも大手をふって行くことができる人になるだろう。
 本校初代校長中西勇二氏の愛されたことばでもあり、また今に生きる私たちへの自戒のことばでもある。
 この大道無門は、旧校舎で往時の生徒、職員に永らく親しまれてきたが、昭和六十二年十二月、新校舎の落成にともなって現在地に移転された。