刈安小学校の歴史

 

校章
 
 校章の制定は,河北郡刈安尋常高等小学校の発足時の明治44年4月1日と思われる。
「学び舎は,澄んだ山の気が窓より入る(校歌1題目の歌詞)ところに在り,豊かな自然や実りを育む山々に抱かれて在り」をふまえ,倶利伽羅の山々を背景にし,「ペン」と「刈」で,和して学業に勤しむ学び舎・刈安小学校を表す校章としたとされる。



校歌
藤田福夫 作詞
今井松雄 作曲
1  朝空匂う  倶利伽羅の       澄める山の気  窓に入り
   すがしさ満つる  学び舎よ    師の愛の  誠にこたえ
   ああわれら  正しく生きむ

2  ま昼のどかに  天つ日の    光みなぎる  野に丘に
   豊けきみのり  たたえつつ    とこしえの  平和を求め
   ああわれら  ともに進まむ

3  加越をおおう  夕映えの    色うるわしく  輝けば
   文化彩なす  世をしたい    学芸の  尽きぬ泉を
   ああわれら  競いて汲まむ

(昭和23年12月1日制定)    



学校沿革
明治 7年(1874) 越中坂小学校創立
明治32年(1899) 12月1日 越中坂,竹橋,坂戸,明嶺,手向尋常小学,校を廃し,
             倶利伽羅尋常小学校と改称(創立記念日は12月1日),
             同日,字倶利伽羅に冬期分教場設置 児童数230名
明治41年(1908) 刈安尋常高等小学校と改称(当時の校章入り校旗あり)児童数
             242名
昭和16年(1941) 刈安国民学校と改称 児童数318名
昭和22年(1947) 倶利伽羅村立刈安小学校と改称 児童数316名 中学校併置
昭和23年(1948) 12月1日校歌制定 児童数304名
昭和29年(1954) 新築校舎落成(10教室)児童数391名
昭和32年(1957) 津幡町立刈安小学校と改称 児童数386名
昭和54年(1979) 新校舎(管理棟)落成
昭和61年(1986) 通学区域変更により,竹橋地区は萩野台小学校へ
昭和62年(1987) 屋内運動場落成
平成 8年(1996) 津幡町教育委員会研究指定発表会
平成12年(2000) 新校舎(教室棟)落成
平成14年(2002) 一部複式学級導入
平成19年(2007) 平成18・19年度津幡町教育委員会研究指定
平成20年(2008) いしかわ田んぼの学校推進プロジェクトに参加
平成21年(2009) 正面玄関天井防水工事
平成28年(2016) 平成27・28年度津幡町教育委員会研究指定
平成30年(2018)   町萩野台共同調理場の開設により調理室を閉鎖