教職員のつぶやき。 ー 本校の教職員全員が、週一回、リレー形式で、つぶやきます。

昼 今日は3月11日です。

 今日は3月11日です。あれから13年になります。あの時私は、当時勤務していた学校の職員室で同僚と話をしていました。その同僚が、「揺れなかった? なんか気持ち悪い。」と言いました。私自身は感じていませんでした。その後、東京に出張に行っている人から「東京が大変なことになっている」という連絡が来て、何か大変なことが起きたことを知りました。生徒の皆さんは、幼すぎて記憶もないでしょうね。

 今年の1月1日帰省先の珠洲で私は地震に遭遇しました。1回目の揺れでいつもの揺れではないと思いました。電気を切っておこうと仏壇の灯を消し、神棚の灯のスイッチを探しているときに2回目が来ました。床が波打って手すりにつかまっているしかない状態でした。1回目の揺れで玄関を開けておいたのですが、その戸がふっとび、向かいの家がグシャリとつぶれるのを見ました。「あの家は空き家だから大丈夫。」と思いながら、夢を見ているようで現実感がありませんでした。

 外に出ると、「津波が来るって!」と誰かが叫んでいました。「逃げなきゃ」と思い、車の鍵を取りに中にもどりました。鍵の入ったバッグを持って出ようとしたところに3回目が来ました。揺れが収まったときには、車の鍵がなくなっていました。探していられないと外に出て、気づくと手から血がしたたっていました。家中の建具が壊れ、そのガラスで指を切ったのでした。道路は、すべてのマンホールが浮かび上がり、橋と道路には段差ができて車は通れませんでした。津波からの避難所は、崖崩れで途中までしか行くことができず、そこから波が押し寄せてくるのを見ました。

 避難所は人が多く、私は玄関で過ごしました。私の前には、技能実習生と思われる外国人の青年が四人、段ボールを敷いて毛布をかぶって過ごしていました。その中の一人は、揺れが来るたびに飛び起きていました。こんな外国の地でこんな目に遭ってどんなにか不安だろうなと思いましたが、声をかけることもできませんでした。明かりがないので、外に出て見上げると星空がはっきりと見え、本当に美しいと思いました。しかし目を転じると、引き裂かれた道路とつぶれた家があり、そのギャップで、まだ夢のような感じでした。あの時の東北の方たちもこんな気持ちをもったのでしょうか。