なぜ「弥生の広場」?
【弥生の広場にある説明文】
本校の中庭をなぜ「弥生の広場」というか知っていますか。説明文を掲載しますので、じっくり読んでみてください。
この地には、弥生時代の中期(今から約二千年前)に、人々が住み、生活していたことを知る「藤野遺跡」がありましたが、学校建設に伴って、その「遺跡」の一部が失われることになりました。そのため平成元年十一月から平成二年五月までの期間、記録保存を目的とした緊急発掘調査を実施しました。
調査の結果、「竪穴式住居跡」とよばれる地面を掘り下げて屋根をかぶせた家の跡や溝などの遺構が発見され、甕(かめ)や鉢(はち)などの土器、石製の斧・包丁・首飾り等の「遺物」も出土しました。このうち住居跡では、数棟の家屋が中央に「広場(空間地)」を形成するように建っていたことが分かりました。このような状況は、当時の「村」の様子を知る上で、まことに貴重なものであります。
(平成三年十二月、七尾市教育委員会)