さくら   虹の架け橋
  4月校庭に咲く八重桜     そばに立つ植樹記念標柱
 
 本校の正門近くの校庭のフェンス際に、2本の桜の木があります。46年前の10月、児童の手によって植えられました。その桜の木の持ち主は、岐阜県郡上郡白鳥町でバスの運転手をしていた佐藤良二さんでした。
 その時の様子を、著書「さくらがさいた ~2000本のさくらをうえたバスの車掌さん~ 木暮正夫著・山中冬児絵 ポプラ社」で見ることができます。
 
 『すみわたった秋の空に、赤トンボがすいすいとびかっていました。ときおりふいてくる風は、日本海の潮のにおいをはこんできます。
 ここは、石川県輪島市の市街地のなかの、市立河井小学校の校庭です。”朝市”や伝統の”輪島塗”の産地でしられている輪島は、日本海に大きくせりだしている能登半島の西岸の町。河井小学校も海までとおくはありません。
 昭和四十九(一九七四)年、十月二十九日のこの日。河井小学校の校庭では、二本のさくらの苗木の植樹式がはじめられようとしていました。・・・(後略)』
 
 なぜ、河井小学校に佐藤さんの桜の苗木を植えることになったのか。その答えは、当時校長だった平松先生の「佐藤良二君のこと」と題する随想文で知ることができます。
 
 『昭和四十九年秋、教育視察で奥美濃まで足を延ばした私たちが、黄昏の白鳥町の道の傍らに漸く一軒の民宿を見つけて宿をとった。遅い夕食を済まして、囲炉裏端の周りで寛いでいたら、この家の主人らしい初老の山着姿の人が、随分疲れた感じで入ってこられた。この人が佐藤良二君だった。・・・(後略)』
 この後、佐藤さんの熱っぽい桜談議に心を打たれ、次の決意をされたのでした。
 
 『(前略)・・・こうした子どもをどう導くかに苦慮していた私達は、良二君の全く報酬を求めないこの奉仕活動、気の遠くなるような大事業に、自然愛好の一念だけで独力でぶつかっている大勇猛心に、全く敬服し傾倒した。
 私たちは良二君の大志と実践力は子ども達への最高の土産と喜び、彼の夢に賛成し、虹の架け橋をもっと先まで延ばす協力を約束した。・・・(後略)』
 
 こうして植えられた桜は、46年たった今も、毎年4月になると鮮やかな八重の花を咲かせ、子どもたちを見守っています。