教職員ブログ

2024年6月の記事一覧

【教職員リレーブログ】「生成AIでやってみたいこと」

 「生成AIってなんだ?」、と思う間もなく、「うまく使って!」と迫られはじめている今日この頃。

 思い返せば、教員生活のスタートにも、DSなる黒い画面に白い文字が並ぶPCを前に呆然とする間もなく「そのうち慣れるって~」と笑顔の先輩教師にあれこれ教えてもらっていたなぁ。気が付けば授業にはPCとプロジェクター、コロナ禍を経て一人一台端末。加速度的とはこのことか。

 さて、お題の「生成AIでやってみたいこと」、と、ついそれを検索してしまうワタクシ。これはマズイ。仕事のことならあれこれ思いついたりもするのだけれど、はた、自分のこととなると「ゔ~ん」と出てこない。生成AIは「新しいものを生み出そうとする気持ち」に伴走して、実現可能なものへと導いてくれるのに最適だそうだけれど、それが出てこないというのは、今に安住してしまってるということか。イカンイカン。

 それにしてもありがたいことに、学校というところで、なんとか新しいものを聞いて触れて試してみることができていることに感謝。もしそうでなかったら、ガラパゴスな生活を送っていたに違いない。

 と、結局お題に答えられないままなので、お次の方へパス。「生成AIでやってみたいこと」よろしくお願いします。

【教職員リレーブログ】「最近、涙が出そうになったこと」

最近年のせいか何だか涙もろくなった気がする。
ドラマを見ていても油断するとすぐ泣かされそうになる。

生成AIに泣けるドラマのパターンを尋ねてみると「病弱な主人公」、「家族愛や親子の絆」、「人情や友情」だそうだ。
どのパターンにもコロッとやられそうなチョロい視聴者だと自覚している。

また、生成AIによると人間の涙には3種類あるそうだ。
目を潤すための基本的な涙、目などに入った異物を洗い流すための反射的な涙、感情が高ぶった際に多量に分泌される感情の涙の3つだそうだ。
感情の涙は、悲しい時、嬉しい時、痛みを感じた時、悔しいとき、大笑いした時などに流れることがあるとのこと。
これまでを振り返ってみると、幸いにも痛くて泣いた記憶はない(記憶がないだけで幼い頃にはあるかも)。また、悔し涙も流したことはほとんどない(だから、成長してないのか、と言われそう…)。教員生活では、本当に悲しい涙を流したこともあるが、嬉し涙、感動の涙の方が多かったと思う。部活動の最後の試合・ミーティング、卒業式、合格発表など。教員は「ありがとう」という言葉に弱い生き物ではないかと思う。

最後に生成AIに「最近、涙が出そうになったこと」を聞いてみた。
こちらの使い方が不十分なせいもあるかもしれないが、ピンとこない回答だったので、ここは自分で書こうと思う。
回答は、先日行われた県総体の輪島高校の男子バレーボール部の試合だ。
会場が本校向かいの野々市市体育館であったこと、4月に本校に転入した2年生2名が輪島高校のチームの一員として出場することから応援に行った。
1月の震災後、チームがバラバラになり先が見えないなか、日々の練習場所・相手の確保やこちらの思いが及ばないような数々の困難を乗り越えて、元気にプレーし、勝利を収め喜ぶ姿を見て、目頭が熱くなった。これまで当たり前だと思っていたことが決して当たり前ではない、とても有り難いことだということを改めて感じた。いい試合を見せてくれて本当にありがとう。

さて、次の方へのお題は「生成AIでやってみたいこと」でお願いします。

【教職員リレーブログ】「旅行」について

ずいぶん昔のことになりますが、中国西安市の大学で日本語教師をしていたことがあります。

当時の私の月給は600元程度。現地の人たちの給与はおそらく100元程度だったと思います。でも600元は当時のレートで日本円に換算するとわずか2万円ほどにしかなりません。

その頃の中国には、外国人料金というものがあり、観光地の入場料、ホテル宿泊料金、列車、飛行機などの運賃が、現地人料金よりはるかに高額で設定されていました。駅や空港に行くと、購入窓口が二カ所。中国人窓口の方は、いつも長蛇の列で、割り込みが普通。もたもたしているとどんどん抜かされます。

ところが、中国人民のために働いている私は、外国人窓口に行き、「パスポート」と「工作証」(身分証明書)を見せると、中国人価格、さらに教員割引まであり、なんと普通の中国人より安く、簡単にチケットを購入できてしまうのでした。

というわけで、「とにかく中国国内を旅行しよう」というのが私たち外国籍教師の合い言葉でした。

いろんなところに行きましたが、今思い返して、一番思い出に残っているのは「新疆ウィグル自治区」への旅です。

まずは西安駅から汽車に乗り「敦煌(とんこう)」へ。莫高窟(ばくこうくつ)という、仏教壁画や仏像が残る洞窟で有名ですが、私の記憶によみがえるのは、砂漠の中を疾走していた野生のラクダの群。

そして「ウルムチ」へ。ここは、漢民族が多い大都会でした。印象は薄め。

その後「トルファン」という少数民族ウィグル族のオアシス都市へ。

人々の顔つきも衣服も、話している言葉も、書かれている文字もそれまでのどの町とも違っていました。

西遊記に出てくる「火焔山」や、ロバをひいて人々が集まってくるバザール。ブドウ棚や民族音楽。イスラム寺院から漏れてくる祈りの声。強烈な印象が今も残っています。

「旅行」の本質は日常から離れること。日常との差があればあるほど、ワクワク感が増します。

以前の中国の旅は、移動時間がとてつもなく長く、遅延、欠航当たりまえ。トイレをはじめ、不快なことも数限りなくありました。長期間、一言も日本語を話さないことも。しかし不便も不快もそれが旅。

その一方で、砂漠に登る月、崩れかけた古代の遺跡、数千年眠り続ける美女のミイラ、独特のスパイスの香り、そこで生きる現地の人々の笑顔・・・するとなぜか日本が思い出されてきて涙が出そうになるのです。

若い頃経験した、少し冒険色の濃い旅は、今の私の価値観に強い影響を与えています。

さて、次のお題は、「最近、涙が出そうになったこと」でお願いします。

 西安外国語大学学生                         ウィグルの少年

 ゴビ砂漠

  

 

【教職員リレーブログ】修学旅行を終えて

 改めて、参加者全員で戻ってきたことを報告します。

 生徒の皆さん、保護者の皆様、先生方の協力に感謝しています。

 修学旅行を終えて印象に残っていることを2つ紹介します。

 1つ目は、ラフティングに挑戦した生徒達の表情です。まず、ドライスーツに着替えて班ごとに写真を撮りました。どの班も不安と寒さからか、インストラクターが声をかけても表情がさえません。川に入ってボートに乗り込んでも、テンションは低かったです。そんな生徒達でしたが、中間点では、みんなで歓声をあげながらカメラに向かってポーズをとっていました。ゴール地点では、撮影を催促するくらいに元気があり、濡れた顔が一層輝いていました。生徒達に一つ成功体験をプレゼントできたと思っています。(なお、HPの画像は個人の特定に配慮して、後ろ姿や遠めのものにしています。ご理解願います。)

 2つ目は、友達を思いやる気持ちです。旅行中、ルームキー探しなど些細なトラブルはありましたが、みんなで協力して解決していました。明倫生の優しさを見せてもらいました。

次の方、旅行について何かありますか。公私は問いません。