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閉校式・閉校記念式典

押水第一小学校60年の歩み

閉校記念式典で6年生が発表したプレゼン「押水第一小学校60年の歩み」です。

 

 

今から、「押水第一小学校 60年のあゆみ」を発表します。

ぼくたちの押水第一小学校は、本日をもって閉校となります。

ぼくたちは、最後の6年生・最後の卒業生として、この押水第一小学校のことをもっと知ってみたいと思いました。

校長室には、「沿革史」という学校の歴史が記録されている冊子があります。

今日は、この「沿革史」から、ぼくたちがわかったこと、心に残ったことなどを発表したいと思います。

まずは、押水第一小学校が誕生するまでのことをお話したいと思います。

令和の前の平成、平成の前の昭和、昭和の前の大正、大正の前の明治に、その始まりがあります。

明治5年に明治政府が、全国に向けて小学校の設置を奨励しました。それからわずか4年後の明治9年、教育熱心な地域の人たちによって、免田小学校と紺屋町小学校が作られました。今から149年前のことです。

それから、免田小学校は、押水小学校、北川尻小学校と名前を変え、紺屋町小学校は一時期、観瀾小学校と名前を変えながら引き継がれ、昭和40年にその北川尻小学校と紺屋町小学校が統合して、私たちの押水第一小学校が誕生しました。

そして令和7年度に、宝達小学校と相見小学校と統合して、新たに「押水小学校」となります。

調べてみてわかったことですが、この押水小学校という名前は、実は明治18年に使われていた名前でした。140年ぶりに「押水小学校」という校名が復活することになりますが、この校名が実は私たちの「押水第一小学校」ととてもゆかりが深いということを知って、本当に驚きました。

次に押水第一小学校の始まりについて お話します。

押水第一小学校は昭和40年の4月に開校しますが、その時は、まだ「北川尻教場」と「紺屋町教場」に分かれていたそうです。校歌や校章、校旗が制定され、昭和41年の9月に、今ぼくたちが使っている校舎が完成し、新校舎に合流しました。

そして10月に、新校舎落成記念運動会として、「最初の運動会」が開催されました。

それから約60年後の今年度の5月に、ぼくたちは「最後の運動会」をしましたが、「最初の運動会」と同じように、たくさんの地域の方に見守られ、とても思い出深い運動会になりました。ありがとうございました。

ぼくは、校舎の移り変わりについて発表します。

昭和41年9月新校舎が落成したあと、水泳プ-ルや 新館、ランチルームが順次、増築されていきました。また、阪神大震災などの大震災を受けて、校舎や体育館の耐震補強工事もしていただきました。

これは、校舎の航空写真です。昭和41年に新校舎ができた後、昭和45年に水泳プールが完成し、昭和52年に新館が増築されました。そして平成21年にはランチルームが作られました。

60年の間、ぼくたちが安全に楽しく学習できるように、地域の方々が設備・環境を整えて下さったということがわかり、本当にありがたいなと思いました。

さて、ここでクイズを出したいと思います。

クイズは、押水第一小学校にまつわる数字についてです。押水第一小学校の歴代の先生方の合計は、校長先生、教頭先生を合わせて280名です。そして、PTA会長は33人、教育後援会会長は17人です。では、押水第一小学校の卒業生は全部で何人でしょう。 ①1091名  ②1591名  ③2091名

正解は、③の2091名です。

ちなみに、卒業生第1号は 北川尻の鍛冶さん、卒業生第1000号は 北川尻の山本さん、卒業生第2000号は 北川尻の笹山さん、そして最後の卒業生第2091号は、ここにいる架谷さんです。

ぼくは、押水第一小学校の卒業生という誇りをもって、これからも頑張っていきたいです。

押水第一小学校の玄関には、たくさんのトロフィーが飾られています。その多くが、スポーツの大会のトロフィーです。なかでも特にサッカーの大会で活躍したとの記録がたくさん残っています。記録によると、押水第一小学校が開校してすぐ、サッカーが盛んになり、熱心な指導者のもと、何回も県大会でよい成績をおさめ、全国大会にも出場したそうです。

そしてこの写真をみてください。この写真は、押水第一小学校の校舎ができた後、児童、先生、地域の方、みんなが協力して運動場を作っているところの写真です。

ぼくは、サッカーで活躍した人たちもすごいけど、その人たちがサッカーを頑張れたのは、こうして、練習できる運動場をみんなで整備したからだと思いました。

ぼくも今、チームに入ってサッカーを頑張っています。ぼくがサッカーを頑張ることができるのも、家族や、チームを支えてくれている周りの人たちのおかげだということを忘れないで、これからも頑張っていきます。

ぼくは、教育後援会についてお話しします。

教育後援会は、毎年、地域の皆さんからお金を集め、その大切なお金を学校に寄付してきてくれました。このお金で、学校の教材やテレビ、ビデオ、パソコン、プリンターなど、いろいろなものを購入し、他の学校にも負けない設備をそろえてくださいました。

沿革史の記録によると、60年間の合計は、3061万7502円です。地域の皆さん一人一人のあたたかい思いのおかげで、ぼくたちはとても恵まれた学校生活を送ることができたのだと改めて感謝するばかりです。本当にありがとうございました。

最後に学校支援ボランティアについてです。

学校支援ボランティアについては、長く学校支援ボランティアとして私たちを支援して下さった寺倉さんが、以前おっしゃっていたそうなのですが、学校支援ボランティアが正式にできたのは、平成の初め頃だそうです。それから約30年、私たちの登下校の見守り、クラブ活動の指導、学校行事への参加・協力、読み聞かせ、押水音頭の指導など、本当にたくさんの面で私たちを支えて下さりました。

これらの活動の積み重ねにより、令和4年度には厚生労働大臣賞も受賞いたしました。

私たちが今日まで、安全にあたたかい気持ちで学校生活を送れたのもまさに学校支援ボランティアの皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。

ぼくたちは、閉校にあたって、今回、押水第一小学校のあゆみを改めてたどってみました。

押水第一小学校のあゆみを知れば知るほど、ぼくたちの学校は地域に愛されてきた素晴らしい学校であるということがわかりました。

60年分の感謝の気持ちを込めて、そして2091名の卒業生と最後の在校生52名を代表して、皆さんにお礼を言いたいと思います。

児童の皆さんは立ちましょう。まわれ・みぎ。

「(全校児童で)ありがとうございました。」

児童の皆さんは、座りましょう。

以上で、「押水第一小学校 60年のあゆみ」の発表を終わります。

 

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押水第一小学校 閉校式・閉校記念式典

 

 

3月22日(土)、押水第一小学校の閉校式・閉校記念式典が行われました。

当日、体育館は地域の方や歴代の卒業生などあふれんばかりの来場者でいっぱいになりました。

閉校式は町主催で厳粛に挙行され、そのあとの閉校記念式典は、実行委員主催のもと、児童による合唱や鼓隊披露、60年の歴史をまとめたスライド発表、実行委員制作の記念ムービー上映、学校支援ボランティアさんへの感謝状贈呈などが行われ、午前の部最後は来場者全員で「ふるさと」を唄って閉校を惜しみました。

また、記念式典の午後は、実行委員会企画のレクリエーション大会で、「なつかしの校舎を巡るウオークラリー」や「閉校記念品があたるビンゴゲーム」「児童作成の横断幕と撮る記念写真ブース」「参加者それぞれが押水第一小の思い出などを桜の花びらに書いて桜が丘の台紙に貼っていく“みんなでアート”」などが企画され、運動場に特設した100台の駐車場が終日ほぼ満車状態になるほど盛況でした。

そして18時30分に記念花火が打ち上げられ、創立60年の歴史に幕をおろしました。

地域の皆様、歴代の卒業生の皆様、関係者の皆様、本当にありがとうございました。

 

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閉校記念式典「みんなでアート」

3月22日の閉校式・閉校記念式典の午後は、たくさんのレクリエーションが企画されています。

その中の一つが「みんなでアート」です。

体育館の壁面に、校舎と桜の木を描いた5m×2mの紙を掲示しました。

当日来校された方に、桜の花びらに押水第一小学校への思いや思い出をメッセージとして書いていただき、それを貼っていきます。「ここ押水の桜が丘に♪(校歌)」と歌われているように、皆さんのメッセージが書かれた桜の花びらで満開になればと思います。

閉校式・閉校記念式典に来られる方は、ぜひメッセージの花びらを貼ってください。

 

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学校菜園の持ち主様からのメッセージ

学校の校門を抜けて坂を上がっていくと、左手に畑があります。

この畑は、本校が学校菜園として長らくお借りしていたものですが、閉校が決まったということで昨年度持ち主様にお返ししたものです。

このほど、畑に下記のようなメッセージが書かれていました(写真)。

 

お礼の言葉が書かれておりますが、お礼の気持ちを伝えたいのはこちらの方です。

この畑を通して、押水第一小学校の歴代の子どもたちは、たくさんのことを体験し、学ぶことができました。

植物を育てることの大切さ、喜び、楽しさを存分に味わうことができたのも、持ち主様のご厚意のおかげです。

本当にありがとうございました。

 

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児童作成の横断幕

閉校を迎えるにあたって、本校児童が記念の横断幕を作成しました。

全校児童の手形で、虹とアジサイをデザインしています。

閉校式・閉校記念式典当日、記念写真ブースに掲示しますので、ご一緒に写真を是非どうぞお撮りください。

 

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駐車場のライン引き

3月22日の閉校式・閉校記念式典では、地域や歴代の卒業生など、たくさんの方に来校していただけたらと思っています。自家用車で来校したい方も多くいらっしゃると考え、運動場東側半面を駐車場として利用する予定です。

写真は、駐車場ラインを引いた運動場です。

下の会場案内図のようにラインを引きました。約100台駐車できます。また、免田駅前の町営駐車場(約40台)も利用できます。運動場駐車場を利用される際は、校舎敷地への入り口が狭いため、図の矢印の導線に従ってご利用ください。また、駐車台数に限りもありますので、可能な方は、徒歩や乗り合わせにご協力ください。

 

 

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記念品が完成しました

閉校記念事業実行委員会では、閉校に際して、記念品を制作いたしました。

校章をデザインしたキーホルダーです。

閉校式・閉校記念式典当日、ご来校いただいた方、皆さんに配付したいと思っています。

(ただ、数には限りがありますので、その場合はご了承ください。)

よろしくお願いします。

  

 

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花火の打ち上げ時刻について

3月22日(土)の閉校式・閉校記念式典では、最後に記念花火を打ち上げます。

春が近づき、日も長くなってきました。

花火は、日没後に暗くなったあと打ち上げますので、18時30分頃になります。

よろしくお願いします。

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押水第一小学校の校歌について

儀式や全校集会の度に歌われている校歌。いつも児童は声高らかに歌ってくれましたが、全校で歌う機会は、数えてみればあと何回くらいでしょうか。

押水第一小学校の沿革史を紐解いてみると、校歌は昭和41年4月1日の制定となっております。作詞は初代校長の中泉武彦先生、作曲は当時合唱指導で名を馳せていた山崎梅吉先生で、新校舎が完成した昭和41年9月1日に入校式が行われたので、おそらくその際もしくはその前後に、はじめて全校で歌われたものと思われます。以来およそ60年の長きに亘って、2090余名の卒業生と現・在校生に歌い継がれてきました。

1 黄金波打つ 実りは豊か
 親しみ睦ぶ 平和なる町
 ここ押水の 桜が丘に
 朝夕はげむ 楽しき団欒
 ああ我等の 第一小学校

2 朝に仰ぐ 輝く御前
 夕べに拝む 砂丘の入り日
 日ごといそしむ 学びの庭に
 若き希望の ゆくては遥か
 ああ我等の 第一小学校

令和7年3月22日(土)の閉校式・閉校記念式典の場が、おそらく学校・保護者・地域の皆で校歌を歌う最後の機会になると思います。

当日は地域や卒業生の皆様にも多数お出でいただき、是非皆さんと一緒に歌うことができればと思います。

なお校歌は、児童が歌唱しているものを、以下のリンクから試聴できますので、よろしければ聴いてみてください。

押水第一小学校校歌.mp3

 

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