刺繍観音図と蓮に鷺図について

 石川県かが刺繍協同組合が「加賀繍の歴史と未来」(仮称)を発刊するにあたり、本校所蔵作品「刺繍観音図」と刺繍図案「蓮に鷺図」を掲載することとなりました。撮影を終了したので紹介します。 

 本校は明治20年(1887)7月、納富介次郎を初代校長とし、金澤区工業學校と称して兼六園内に男女共学で開校した。設置学科の中に繍物科、裁縫科を設けて女子の技術教育を推し進めてきた実績を「刺繍観音図」が物語っている。

 また、納富は本県に刺繍(技術)を京都から輸入して石川女子県授産所を設けており、明治26年のシカゴ大博覧会に出品している。

 刺繍観音図は本校がシカゴ博覧会に出品したと思えるような完成度である。

 

 兼六園の校舎は手狭となり、中本多町(現在の校地)に移転を開始したのは明治34年6月24日からである。本県は美術工芸の発展を援助する「図案部」を勧業博物館内に設けていたが、本多町に移転した年の12月11日に優秀な人材が集まった本校に移された。その図案部で考案されたのが刺繍図案「蓮に鷺図」である。

 以上のように男女共学で美術工芸の発展を推し進めてきた本校はシカゴ博覧会で学校賞の「有功賞」を受賞している。

本校はこのような歴史を持ち、多くの工芸品を所蔵しています。