沿革
本校は明治20年(1887年)創立で、創立136周年を迎える日本でも最も歴史のある公立の工業高等学校です。創立者 納富介次郎(のうとみ かいじろう)は九州佐賀藩士で、明治政府の命で石川県金沢の地に本校の前身である、「金沢工業学校」を創立し、その後、富山県高岡に現「富山県立高岡工芸高等学校」、四国の香川県に現「香川県立高松工芸高等学校」、九州佐賀県に「佐賀県立有田工業高等学校」を作りました。創立者を同じくするこの4校は、姉妹校として現在でも交流を深めています。
初代校長納富介次郎について
納富介次郎は佐賀県小城の神道家柴田花守の次男として誕生し、父より書画、皇典を学び、わずか8歳で「介堂」という号を持っていました。16歳の時、佐賀藩士で儒家の納富六左衛門の養嗣子となり、同郷の大隈重信、江藤晋平、副島種臣らと志を同じくし、深い交わりを持ちました。
明治6年のウィーン万国博覧会で事務官の重責を果たし、東京開成学校教師であったドイツ人化学者ワグネルを介した研修をとおして工業教育の重要性を痛感しました。帰国後はDESIGNを「図案」と訳して、その重要性を広めながら「技術者の育成機関の設置」を提唱しました。明治19年、巡回指導技師として来県したことが縁で、本校が画学校ではなく工業学校として誕生しました。本校は納富介次郎の建学の志をうけ、「新しい地域文化の創造・活力ある人づくり」を目指しています。
校訓(第20代校長 羽野禎三制定)
敬愛協和を尚ばう(けいあいきょうわをたっとぼう)
創意工夫を凝さう(そういくふうをこらそう)
矜持責任を有たう(きょうじせきにんをもとう)
方針
- 生徒の個性、能力を最大限に伸ばし、豊かな情操や知性の育成を図るとともに、新しい地域文化の創造を推進する精神を培い、心身ともに健やかで活力にあふれた人づくりをめざす。
- 自覚を高め、豊かな想像力、合理的な実践力を身につけた勤労を愛好する。
- 人の育成行動に責任を持ち、広い視野で主体的に判断し、積極・進取の気風のある人の育成。
目標
- 工業技術者としての自覚を高め、創造力、実践力を伴う勤労意欲に満ちた人間を育成する。
- 自己の行動に責任が持て、広い視野に立って正しい判断ができる社会人を育成する。
- 健康でたくましい体力と忍耐力を持って、試練に耐え問題を解決できる人間を育成する。
- 自然環境や郷土について正しい理解ができ、地域社会に貢献できる人間を育成する。
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学習指導方針
スクール・ミッション
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校章
図案絵画科の山田敬中(明治31年~明治41年4月)・加藤一郎(明治33年8月~明治36年4月)両教諭の合作考案になる雪を図案化したもので雪花とも雪章ともいわれました。 |
校歌
作詞:坂井 敬 ・ 作曲:大西安世(明治44年5月)
改作曲:今井松雄(昭和32年7月)
1. 正面に仰ぐ金城の 松吹く風を身にしめて ここ工業の粋を抜く
若き我等の意気高し 若き我等の意気高し
2. 嗚呼勤勉と誠実は 実にや我等の教草 教えのまゝに励みなば
重き勤めも果たすべし 重き勤めも果たすべし
3. 見よや南の空高く 雲に秀づる白山の 雄々しき様ぞ業終えて
世に立たん日の姿なる 世に立たん日の姿なる
校歌(ピアノ) 校歌(歌唱有) 歌:東崎 豊