校長室から
<校長室から> 伝統のボート大会
今日7月2日(火)、本校近くの梯川で校内ボートレース大会が行われました。この大会は、今年創立120周年を迎える本校の名物行事の一つで、夏の風物詩となっています。
今年は120周年記念事業の一環として、同窓会からナックルフォア3艇が寄贈されました。今日はそのお披露目となり、はじめに安全祈願祭と贈呈式を執り行ってから、一昨年本校OBの江口さんより寄贈された3艇とあわせてピカピカの6艇で、レースが行われました。
記念すべき年ですので、この機会に生徒たちに何かを伝えられたらいいなと思って、『小松高等学校百年史』を紐解きながら本校とボート競技の関わりについて調べてみました。
本校の創立は1899(明治32)年ですが、その数年後にはボート部(当時は端艇部)が誕生していたようです。明治時代に部が創設されたときも、戦時中に中断していたボート競技を戦後復活させたときも、生徒・職員・保護者が一丸となって募金をし、ボートを購入したり艇庫を建てたりして、活動を支えてきたことがわかりました。ボートは小松高校にとって、ある意味「校技」のような存在だったのですね。
校内ボートレースが初めて開催されたのが1909(明治42)年と言いますから、この伝統の行事には、途中中断していたとはいえ百年以上の歴史があるわけです。
ちなみに、明治時代から校内ボートレースが行われ、今も大会が続いているのは、私の知る限りでは、全国でも愛媛県の松山東高校、宇和島東高校、長野県の諏訪清陵高校と本校の4校だけです。いずれも伝統校で、松山東の前身である愛媛県尋常中学校(後の松山中学校)は、夏目漱石が一時期教鞭を執り、小説「坊っちゃん」の舞台となった学校として知られています。
本校の話に戻りますが、今回、創立120周年の記念に寄贈されたボートには、小松高校の歴史と伝統を形あるものとして後輩に手渡したい、そしてこの大会をこれからもずっと続けてほしい、という先輩方の熱き思いが詰まっていると感じます。ボートを通して歴史をつなぎ、「小松高校スピリッツ」とでも言うべきものを継承していけたら、と思います。
今日は途中から風が強まり、残念ながら3年生と1年生のレースしか行うことができませんでしたが、2年生諸君、来年のボート大会を楽しみに待ってください!
<ボート贈呈式> <同窓会・PTAの方々と>
真新しいオールに紅白のリボンを 新艇は、校歌の歌詞から「はくさん」
かけて…。 「おおぞら」「みらい」と命名されました。
<教員チームとして出場> <結果は…>
管理職3人プラス今年新任のT先生、 途中までは2位でしたが、後半に抜
A先生の5人で3年生のレースに かれてしまいました。スタミナ切れ?
参加。私はコックスです。 若さには勝てませんでしたね。
<校長室から> 連休最後の日
1年生は、入学当初のいかにも新入生と言った面持ちはどこへやら、今は学校になじんできて、上級生と見分けがつかなくなってきました。よくよく観察するとどことなく初々しさがにじむものの、もうすっかり松高生です。
生徒玄関でいつものように声かけをしていると、野球部の生徒が2人駆け寄ってきて「この前は、試合の応援ありがとうございました」と一言。感謝の気持ちを衒いなく表してくれました。それだけで心が温かくなりますね。今週も元気よく過ごせそうです。
<記念館前のつつじ。記念館は改修中> <東門近くのはなみずき>
<校長室から> 新しい時代に
昨日の新聞やテレビは「平成を振り返る」特集であふれていました。政治や経済、文化・スポーツなど様々な切り口がある中で、やはり触れずにはいられないのが、この30年間に起こった災害の多さです。地震、噴火、台風、豪雨災害…中でも8年前の東日本大震災の被害のすさまじさは、原発事故の悲惨さも含めて脳裏に焼き付いています。
相次ぐ災害は、多くの人の命を奪い、暮らしを激変させました。しかしその一方で新たに生まれ、根付いていったものもあります。助け合いの精神、ボランティア精神です。阪神・淡路大震災のあった平成7年は「ボランティア元年」とも呼ばれました。今や、災害が起きると当たり前のように全国からボランティアが集まって、自分のできることを行う姿が見られます。
誰かを助けたい、支えたいという気持ち。これは災害時に限ったことではなく、人には本来そういう気持ちが備わっていることに、私たちはどこかで気が付いたのだと思います。自分の願望を満たすだけでなく、何かに貢献することに価値を見出し、それを気負わずに表現できる世の中になってきました。現在、ソーシャルビジネスやクラウドファンディングが盛んになっているのも、そうした価値観の表れではないかと思います。
もう一つ平成を振り返って思うのは、多様性が時代のキーワードになってきたということです。性別や年齢、国籍をはじめ、生まれ育った環境や置かれている状況、価値観など一人一人が抱えている背景の多様さに目を向け、違いに寛容であることが求められています。
「貢献」も「寛容」も、他者への想像力を働かせる、そのしなやかさという点で共通しているように思います。「令和」の時代像が形作られていくのはこれからですが、次代を担う生徒たちには「しなやかでありながら、どこに一本芯を通していくか」ということを考えてもらいたいと思っています。
<校長室から> 朝の挨拶 ~声を届ける~
出張など特別なことがない限りは、毎朝15分ほど生徒玄関に立って、登校してくる生徒たちと挨拶を交わすのを日課にしています。生徒指導課の先生方も、登校指導をしています。
私の挨拶3箇条は
1 笑顔で
2 発声は明るく
3 一人一人に声を届けるように
の3つ。1と2は、一日の始まりを気持ちのいいものにしたいと思えば自然とそうなりますが、3は少しだけ意識が必要です。
昔、演劇部の顧問をしていたときに、こんな基本練習がありました。みんなが後ろを向いてバラバラに立っているところに、一人が声をかける。全員に向かってではなく、その中の誰か一人の背中に声を当てるつもりで。そして「その声は自分に向けられたものだ」と感じた人が返事を返す…というものです。難しいようですが、声を出す方向と距離感が意識できていて、受け手も神経を研ぎ澄ませていれば、意外とうまく伝わるものです。要は、拡散する声ではなく、相手に届ける声を使いなさい、ということですね。
朝の挨拶の場合は、後ろを向いているわけではないですから、大勢がどっと集団になってやってこない限りはこの「声のベクトル」はちゃんと届くはずなのですが、これがなかなか難しい。私の声の届け方が不十分なのか、受け手がそれと意識していないからなのか。うまく届いて返事が返ってきたときには「やった!」という気分になります。
それよりなにより嬉しいのは、私や他の先生の姿を見るや、こちらが声をかける前に、少し離れたところからでも挨拶してくれる生徒が少なからずいること。また、野球部を中心に、必ず立ち止まって頭を下げて挨拶してくれる生徒がいるのは微笑ましくもあり、そんな挨拶が完全に身に付いていることに感心もしています。
それぞれのスタイルで、今日も気持ちのいい挨拶から一日を始められますように。
<校長室から> ようこそ先輩
講師としてお招きしたのは、本校OBの山田恭平さん(52回卒)と村中拓弥さん(62回卒)のお二人。お二人とも高校時代に留学を経験し、海外の大学・大学院でも学んでいらっしゃいます。山田さんの講話のあと、お二人に生徒と本校教員を加えてのパネルディスカッションとなりました。
山田さん曰く「(留学するかしないか考えていたとき思ったのは)不安だけど長期的な視点で見れば必ずプラスになる、逆に挑戦しなかったらそれまでの延長線で淡々と時間が過ぎるだけだ、ということ」。「(今、研究者となって大学でも教えているが)最初から研究者志向だったわけではなく、一つ一つの選択を積み重ねた結果、今がある」
村中さん曰く「思い描いていたとおりの留学生活ではなかったけれど、失ったものは何一つない」「どの大学に行くかによって将来の選択の幅が違ってくるということは知っていてほしい。他にもいろいろな選択肢があった中で教師という道を選んだことが、今の自分を支えている」
お二人とも、みんなと同じ道を行くのが最善ではないことに気づき、挑戦することをためらわなかった。「人生の歩き方は人それぞれだけれど、自分が選択し自分がデザインして自信を持って生きていけばいい」ということを伝えてくださったと思います。
人は人から学ぶ。小松高校は恵まれた教育環境の中にありますが、それは立派な施設設備やSSH・NSHなどの教育プログラムを指すだけでなく、各年代、各界に素晴らしい先輩方がいて後輩たちに刺激を与えてくださる、それだけのつながりを持っている、というところにあるのだと思います。今、隣にいる仲間にも「あいつはすごいなあ」「あの人はすごいなあ」と感じられる環境、それこそが小松高校の強みであり財産なのだと思います。