歴史
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加賀市内巡検(片山津・山中)
歴史コースでは、5・6月に2回の加賀市内巡検を実施し、加賀市の歴史について、調査・研究を行いました。
①「柴山潟クルーズ体験」(5月18日)
・柴山潟は今江潟、木場潟と合わせて「加賀三湖」と呼ばれている。
・柴山潟の大きさは現在約1.8km平方キロであるが、以前は今の3倍大きさがあった。
・片山津温泉は1653年、大聖寺藩二代藩主前田利明が柴山潟に鷹狩りに訪れた際発見された。
・片山津温泉の歴史は、水と湯を分けるたたかいだった。
など、片山津うきうきガイドの山口さんから解説をいただき、楽しく調査ができました。柴山潟の湖面に映る夕日の光がとてもキレイでした。
②「山中温泉と松尾芭蕉」(6月29日)
・1689年、俳聖松尾芭蕉は8泊9日にわたって、山中温泉に逗留した。
・山中温泉の総湯「菊の湯」の名前は、芭蕉の「やまなかや 菊はたおらじ 湯のにほひ」の句からネーミングされた。
・鶴仙渓にある道明ヶ淵には、龍にまつわる伝説がある。
・あやとりはし、こおろぎ橋は、山中の観光名所になっている。 など、実際に山中温泉に足を運んで学ぶことができました。
①「柴山潟クルーズ体験」(5月18日)
・柴山潟は今江潟、木場潟と合わせて「加賀三湖」と呼ばれている。
・柴山潟の大きさは現在約1.8km平方キロであるが、以前は今の3倍大きさがあった。
・片山津温泉は1653年、大聖寺藩二代藩主前田利明が柴山潟に鷹狩りに訪れた際発見された。
・片山津温泉の歴史は、水と湯を分けるたたかいだった。
など、片山津うきうきガイドの山口さんから解説をいただき、楽しく調査ができました。柴山潟の湖面に映る夕日の光がとてもキレイでした。
②「山中温泉と松尾芭蕉」(6月29日)
・1689年、俳聖松尾芭蕉は8泊9日にわたって、山中温泉に逗留した。
・山中温泉の総湯「菊の湯」の名前は、芭蕉の「やまなかや 菊はたおらじ 湯のにほひ」の句からネーミングされた。
・鶴仙渓にある道明ヶ淵には、龍にまつわる伝説がある。
・あやとりはし、こおろぎ橋は、山中の観光名所になっている。 など、実際に山中温泉に足を運んで学ぶことができました。
北前船の里・橋立町フィールドワーク
6月15日(木曜日)、全校生徒で加賀橋立町を訪問し、かつて北前船の拠点地としてにぎわった橋立町内を、フィールドワークしました。講師は本校OBで、橋立さわやかガイドの呉藤満次さんにつとめていただきました。
橋立町には、江戸~明治時代にかけ、船主や船頭、船乗りなど北前船に関わる人々が居住しており、日本一の富豪村と呼ばれていました。高い塀や敷地内に多く土蔵を持つ豪壮な屋敷を見ると、驚きや新たな発見の連続です。
フィールドワークの後、北前船の里資料館を見学しました。展示品について、呉藤さんからいろいろと教えていただき、本当に勉強になりました。
錦城山プロジェクトでは、今後も引き続き、橋立町の自然・歴史・文化について調査をしていく予定です。
橋立町には、江戸~明治時代にかけ、船主や船頭、船乗りなど北前船に関わる人々が居住しており、日本一の富豪村と呼ばれていました。高い塀や敷地内に多く土蔵を持つ豪壮な屋敷を見ると、驚きや新たな発見の連続です。
フィールドワークの後、北前船の里資料館を見学しました。展示品について、呉藤さんからいろいろと教えていただき、本当に勉強になりました。
錦城山プロジェクトでは、今後も引き続き、橋立町の自然・歴史・文化について調査をしていく予定です。
アンケートにご協力ありがとうございました!
歴史グループでも、「錦城山プロジェクト」のアンケート調査を行いました。
まだ雪の多かった1月31日にアンケートのお願い(上の写真デス☆)、
回収が2月15日、そして本日3月13日に、集計結果のお知らせを配布
させていただきました。いつおじゃましても温かく応えてくださるご近所の
皆様には感謝してもしきれません。はじめは、ご挨拶もぎこちなかった
生徒たちも、だいぶ話せるようになったと思います。
とてもよい経験をさせていただき、感謝いたします。
来年度も、どうぞよろしくお願いいたします!
図書館にて
11月22日(木)、今日は加賀市立中央図書館で地域の歴史書の学習をおこないました。来年度につなげるためです。みんな熱心に取り組んでいました。
発表会の準備
11月1日(木)、今日は11月6日(火)の発表会の最終チェックです。入念に何回も練習しました。後は、当日を待つだけです。