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【100周年記念誌】津高探訪⑨「希望の像」その1

 現在、生徒玄関に向かって右側に建つ2代目「希望の像」、津高生徒を見続ける「希望の像」ついて、創建から振り返る。『津幡高校50年史』には、

 「昭和45年度、図書館建設委員会を発足させるとともに、46年6月に関係各方面に趣意書を提出する一方、県の予算獲得については、矢田富雄氏の並々ならぬご尽力により追加予算が決定し、46年1月に着工、47年7月、生徒会館(旧同窓会館)横に鉄筋二階建の視聴覚教室(定員80名)兼図書館(定員約108名)が完成した。

 これに併せて図書館周辺の整備も行われ、村立造前校長より校歌碑を、昭和46年度卒業生より「希望の像」(制作者 石田康夫 金沢美術工芸大 講師)の寄贈があり、これらの竣工記念式が昭和46年8月に挙行された。」とある。

  ●村立造(津幡高校第7代校長)氏より寄贈された校歌碑 

    ※現在、「姫小松」と共に生徒玄関に向かって左側に建つ、「校歌碑」は創建時からこの場所にある

 

 ●初代「希望の像」創建時  ※「姫小松」と共に生徒の登下校を見守る

 

 

 この初代「希望の像」にはエピソードがある。『津高新聞』(平成5年7月16日)では、

津幡高校創立70年周年に向けて行われた企画をこう紹介している。

 「記念式典に先がけて70周年記念事業として、玄関前庭の改修工事が行われた。駐車場のスペースを確保するため、前庭を半分にした。また玄関前の池も取り除かれ、出入りの便が図られるようになった。この結果、大型バスが玄関まで直接乗り入れることができるようになった。。この工事に伴い、池の縁にあった「希望の像」は前庭部分に移動した。これによって「希望の像」左手は北斗七星を指すことになった。

                       ●前庭移転で北斗七星を指さす初代「希望の像」

現在、初代現在、初代「希望の像」は同窓会館入口玄関(購買の方からは一番奥の所)にいる。

 ●(   )を指さす初代「希望の像」 ※(  )内は想像にお任せします

(追記)

 『津高新聞』(平成5年7月16日)には、70周年記念事業で建設された現在の同窓会館、今も生徒がお世話になる購買について、当時の「購買のおばちゃん」についてのコラムがある。

 (「購買のおばちゃん」「おねえさんでしょ」で有名な購買歴ン年のAさん〈××才〉〈決して年は教えてくれない〉は、まさしく本校購買の顔である。Aさんの一日は、朝のパン注文受付から始まる。これがまた、結構忙しい仕事である。注文受付が終わるとパン屋さんに注文をする。その日の行事により、パンが何個売れるかを予想し、注文するのである。〈予想が外れると職員に余ったパンを出張販売に来る。しかし、決してまけてくれない。〉

             〈中略〉

 毒舌ではあるが、その話し方にはとても暖かさを感じる。中には「おばちゃん」といって、用もないのに遊びに来るファンもいる。そのAさんに購買での苦労は何ですかと聞いたところ、「生徒の態度が悪いこと。」と一言で片付けられてしまった。

 卒業しても忘れられない購買のAさん、本校の隠れた顔である。

 「