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【100周年記念誌】津高探訪④「女学校設立」

●津幡町津幡にある「実生こども園」前左脇に建てられた石碑

 昭和61年10月30日、津幡町津幡に赤御影石に中山先生の揮毫による「石川縣立津幡高等女学校蹟」の文字と校章が入った石碑が建立され、除幕式が行われた。除幕式に参加した女学校卒業生は

 〈同窓会副会長杉本さんが、「旧女学校の跡地に我々が此処で学んだと云う証明になるもの、石柱一本なりと建て

 てほしい」と云われた切なる願いは、私達女学校に学んだ者を代表する発言であり、皆の切実なる願いでもあった

 のです。(中略〉除幕式当日は雨が降り肌寒い日でしたが祈りが通じて時折晴れ間もありました。式典の挙行され

 る午後二時近くなると喜びを隠しきれぬ顔、顔、顔、遠方からの顔も混じり跡地には百名あまりの予想を越えた同

 窓会員の大集合になりました。〉

 

 昭和2年4月、県より河北郡町村学校組合の経営による高等女学校の設置許可が下り、組合立津幡高等女学校が開校した。仮校舎で42名の第1回入学式が行われた。2年後の昭和4年9月、新校舎が完成し、落成式が行われた。

 さまざまな困難を経て、昭和7年4月県立に移管し「石川県立津幡高等女学校」と改称された。日中戦争が始まり、日本が軍事色を強めていく中、津幡女学校も昭和13年、勤労報国隊が結成された。生徒は勤労奉仕に動員され、安閑と勉強をしている雰囲気ではなかった。

 そして、昭和19年、学徒動員により上級生は軍需工場へ、下級生は食糧増産の勤労作業に出かけることになる。その中で昭和20年8月、終戦を迎えた。

●竣工当時の校舎