令和6年度津幡中ニュース

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いじめを許さない心

6月11日(火)

6限目、3年生は道徳の授業を行っていました。今日は、教材「卒業文集最後の二行」を通して、「いじめを許さない心」について考えました。

 

この教材は、30年あまり前、小学生だった著者が、同級生のT子さんをひどくいじめたことを振り返りながら、自分を責めるというものです。少し長いですが、内容を紹介します。

『時は、青森県五所川原市の小学校時代にさかのぼる。同級生にT子さんという女の子がいた。彼女は早くしてお母さんを亡くし、二人の弟さんの面倒もみなければならなかった。お父さんは魚の行商である。仕事があまり芳しくないようで、経済的にも恵まれず、その頃の時代にしても彼女の服装はみすぼらしいというより、正直言って汚かった。今にして思えば、母親がわり妻がわりという生活環境から、自分の身の回りをかまっているどころではなかったのだろう。生意気で口の悪い私は、先頭になって彼女をけなした。そのT子さんが、6年生のとき私の隣になった。「きたねえから、もっと離れろ」この私の言葉にまわりの悪童達は、さらにはやしたてた。「魚の生ぐさい臭いがしてくるから、T子に寄るな」「T子、同じ服を何週間着てるんだバ」こうした嫌がらせ、いじめに彼女は涙を見せずに歯をくいしばって、じっと耐えていた。泣いたりするともっといじめられると思ったのであろう。担任に告げ口もしなかった。我々はそれを知って、さらに輪をかけて口汚くののしり続けた。そんなある日、クラスで漢字の小テストが行われた。どうしても書けない漢字が、私に二個あった。私はT子さんの答案用紙を覗き、カンニングした。後日、答案返却があり、その際に先生が私を誉めてくれた。「イチノヘ、よく頑張ったな。満点はお前ひとりだけだぞ」私は後ろめたさを少し感じたが満足だった。その後、愕然となった。T子さんは1個だけの間違いで98点なのだ。私がカンニングをしなければ、彼女が最高得点者となる。「さすがイチノヘさんね。おめでとう」「ハハ、問題がやさしかったからな」まったく愚かで、鼻持ちならない私、実に情けない。30年を経た今でも慙愧(ざんき)に耐えない。さらに、彼女にひどい追い打ちが待っていた。授業の後、悪童どもが「イチノヘの答えを見て書いたんだろう」「お前が98点も取れるわけがねえよ」「カンニングしてまで、いい点を取りたかったのか」私も連中の尻馬に乗る発言をしてしまった。「やっぱり、おめえは私の答えを見たんだろう。見だに決まってる。ずるいと思わねえか」「私はイチノヘさんの答えを見でいません。着てるものは汚えかもしれないが、心は汚ぐねえ」「どこまでワ(私)をいじめれば、気がすむの!」とその場から泣きながら外へ飛び出して行った。悪童どもは彼女の初めての涙に言葉を失った。・・・やがて卒業式を迎えることとなった。「卒業文集」のT子さんの作文の最後の二行である。『・・・私の今一番欲しいのは母ではなく、本当のお友達です。そしてきれいなお洋服です。』あの「卒業文集」の最後の二行は、大きな衝撃だった。大いなる悔いを与えてくれた。あの二行を読まなかったなら、現在の私はどうなっていたであろう』

いじめは、集団に同調し、軽い気持ちで相手を傷つける、人として許されない行為です。いじめにあった人は、心に深い傷を負い、いじめた人は、後々、後悔と懺悔の気持ちに苦しみます。仲間を増やし、公正、公平な集団を作り、いじめのない、一人一人が安心して過ごせる「居心地のいいクラス」であってほしいと心から思います。