学校日誌

ほりほりの部屋Vol.46「恵方巻き?北方領土にバレンタイン!2・25は因果な日~前編~」

 皆さん、こんにちは。堀です。3年生諸君!いよいよ、あさっての水曜日が最終登校日ですねっ(3月2日の同窓会入会式や3日の卒業式はありますけども)!長かった?あっという間だった?それぞれに感じ方はあるでしょう。悔いはないですか??やりきりました?受験は今から佳境に入るヒトが大半。そこんとこ、やりきろう!必ず!!皆さんの出願一覧を見ていて言いたくなるのは、やっぱり「よし!(願書)出したんなら、やるしかない!がんばれ!」しかないです。緊張しきってるヒトに、さらに緊張感を高めるコトバをかけるのはいかがなものか、と最近の心理学者さんは言います。でも、‘Take it easy!’(気楽にいけよ。)は我が国の伝統的精神文化にはなかなかしっくりとはきませんねぇ。韓民族と共通で‘tension’民族と言われる我々には、やはり「がんばれ!」でしょう。がんばれ、がんばれ!にしき!GATで乗り越えろ!!

 さて、諸君は恵方巻きなるものを先週食べましたか??今年は、百数十年ぶりに「節分の日」、つまり、立春の前日が、天文学上の理由で、2月2日だったそうですが、今年で教員生活36年目の堀にとって、忘れられない「節分の日」があります。教員生活9年目、32才の時、2月3日の朝、STのため、わがホームに向かっていました。教室に入ろうとすると、扉の上に黒板消しが挟まっています。扉を開ければ、その黒板消しが堀のアタマを直撃し、スーツもチョークの粉まみれになる、という寸法です。「ふふ、そのテには乗らん!!」とばかりに逆の引き戸を「甘いっ!」と叫んで勢いよく開けました。その次の瞬間、目の前でいったい何が起こったのかわかりませんでした。クラス全員45名の息の合った「オニは外!ホリは外!!」の大合唱とともに膨大な数の、全員、手にいっぱいの豆を、全集中で一斉に投げつけてきたのです!しかも波状攻撃で!!痛いのなんのって・・・生徒名簿で防戦一方でした。顔も上がられないくらい、何度も何度も「ホリは外!」の連呼!豆の嵐!クラスの外まで後退せざるを得ず、全まめ撃ち尽くしたところで「ホリオニを追い出したぞ~!やったあ!」と拍手と歓声!やられました・・・そして、「これでオニを退治できました。ご協力、ありがとうございました!」とのクラス委員長の声の後、クラス全員が「ありがとうございましたぁ!!」とリエゾン。さらに、こちらから指示するまでもなく、素早く全員で豆の後片付け・回収作業開始。終了後は窓の外の芝生にばらまき、近隣からよくやってくる鳩や野鳥がついばむエサとなりました。うむ、悔しいけれど、敵ながらあっぱれ、潔し、段取りよし、憎めぬ奴らじゃ。2月3日になると思い出します。I miss it.(豆を投げつけられたいわけではない!M?!)

 昨日の日曜日、2月7日は何の日だったでしょう?それは「北方領土の日」。しかも今年はこの日が制定されて40年目の節目の年。様々な記念式典が準備されていたそうですが、コロナ禍であるがゆえ、北方領土返還運動発祥の地、根室にて、東京とオンラインでつないでの式典開催、との報道がありました。式の締めくくりに、島民4世で、諸君らと同世代の高校2年の女子生徒を中心に、左手を腰に、右手をグーで斜め上に突き上げて、あるシュプレヒコールを大声で4回、参加者全員で繰り返している映像が流れていました。「北方4島~、返せ~!北方4島~、返せ~!北方4島~、返せ~!北方4島~、返せ~!」その時、37年前、堀が21才、大学3年生の夏の思い出がフラッシュバックしました。

 訳あって、7月上旬から8月下旬までの1ヶ月あまり、堀は北海道1人旅の真っ最中でした。バイトで貯めたおマネー握りしめ、特急で日本海沿岸を北上、青森から青函連絡船でイルカの大群の歓迎を受けながら函館入り。その後、JRとヒッチハイクを併用して、ほぼほぼ時計回りで北海道をぐるり1周の旅。貧乏旅なので「ユースホステル(略称:YH 堀のイニシャルと一緒)」というボランティアのヘルパーさん達で運営される簡易旅館を利用し、全道泊まり歩きました。おマネーがなくなりかけると、その場でバイト。一番思い出深いバイトは、海岸の浅瀬でゴム長を胸まで履き、我が身そのものを回転させコンブを全身で巻き取るという、超原始的コンブ採取業、その名も「コンブラー」!夏でも冷たい根室の海での「コンブラー」は過酷!ただし、1日がんばると7~8,000円もらえたので、当時としては破格のバイト代で、YH4~5泊くらいできましたっけ。

 その旅の中頃、稚内港から船で2時間あまり、(北方4島を除いた)日本最北の島(有人島)、礼文島を訪れました。夏、その緯度の高さゆえ、海抜数メートルでも高山植物が生い茂る、お花の島となります。今も昔も、自然は相変わらずのようです。ネットで調べて、ほっとしました。変わってないものがもう1つ。この島唯一のYH、その名も「桃岩荘」。かつてはニシン漁で栄え、巨万の富を手にした漁師のベース基地で、かつては「ニシン御殿」と言われたお屋敷です。ニシン漁が廃れ、手放されたお屋敷を、あるペアレントさん(YHのオーナーさんの通称)がYHに改築した伝説の「北海道3バカユースホステル」の1つ。ボランティアのヘルパーさん達の元気の良さ(バカさ?)が、当時も今もハンパないんです!この件については、今回は詳しくは触れません。各自、ネットで調べるように?!各YH毎に、楽しいオリジナルツアーが組まれることが多く、堀は当時、「この最北の島の、最北の地を巡るツアー」に参加。最北の崖の上、参加者全員で、目前に見える島に向かって、大声で叫ぶのが、このツアーのクライマックス!当時のソビエト連邦に向かって叫んだ、そのコトバこそ!「北方4島~返せ~!!」でした。皆、ばかばかしいくらい大声で、力の限り叫びました。何度も何度も。政治的な思惑とか、そういうのではなく、若さゆえのバカさの限りを尽くしていただけだったと思います。今思えば、あの頃が「北方領土の日」制定から3年目くらいだったことになります。元住民の方々の熱い思いが政治を動かしていたことは間違いありません。40年も経ったのに・・・青臭い学生だったやつが、定年間近にかかっているのに・・・お花畑は不変でいいけれど、こういう不変って・・・どうよ?でもでも、言い続けないと風化してしまう。生徒諸君!大学進学して、「自分時間」使って、バイトして、自分のおマネーで、ときには「コンブラー(今もあるんか、このバイト??)」しながら、日本最北の地「桃岩荘」を目指そうではないかっ!そして、ロシアに向かって叫ぶのです、最北の崖の上で!「北方4島~、返せ~!」って。どうかお願いです。思いをつないでいって下さい。この「思い」重いでぇ~。お後がよろしいようで。ではでは。今日はこの辺で。CU ASAP!

P.S.今回、写真が使えなかったので・・・突然ですが!クイズです。次の写真の商品はいったい何でしょう??実物は、25H前の机の上に置いておきますが、触らないよう・・・35年ほど前、アメリカ・テキサスのスーパーにて、「面白い!」と思って購入。だいぶ劣化してるので・・・そのフォルムや書かれている英語表記からいろいろ想像してみて下さい!英語のコトバ遊び、だじゃれから商品化されたものです。堀が購入したのは「白」ですが、スーパーにはものすごい色のバリエーションが存在しました!(現在も全米で売られているのかな??)答えが分かったら、校長室までGO!GO!。正解者には豪華(?)景品贈呈!