学校日誌

ほりほりの部屋Vol.2「耐えてこそ美しい、梅の花のように」

 皆さん、こんにちは。校長の堀です。GATしてます?

 部屋の「おたから」紹介の前に、次のスピーチ原稿(抜粋)を読んでみてください。いつ、誰に対してスピーチしたのか、わかりますか??

 『錦生として、今日から三年間、心掛けて欲しいことをお伝えします。この手話が意味するものがわかりますか?つぼみが大きく開き、前に向かう様を表しています。梅の花が咲く様子を表しています。皆さんが生き抜いていく新しい時代の元号「令和」の手話表現なのです。また、今回の改元に際し、次のような首相談話が発表されています。『厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、令和に決定いたしました。』とのことです。厳しい冬の寒さに耐えてこそ、梅の花は美しくなるのです。今日からの三年間、山もあれば、谷もあることでしょう。勉強で高い壁にぶつかることもあるでしょう。部活で自己嫌悪に陥るかもしれません。そんなときこそ、今、皆さんの左胸にある校章を思い出すのです。今日、三百二十の梅の花が見事に咲き誇っています。まさに、梅花麗し。プライドを持ってその校章をつけ続けてください。新時代の令和を象徴するものなのです。校章の梅の花のように耐えて咲く、このことを三年間、どうか忘れずにいてください。』

 2年生諸君、思い出しましたか?諸君の入学式の式辞として、堀がスピーチしたものの一部です。全校生徒諸君に、逆境の今こそ、耐えねばならない今こそ、このスピーチを届けます。実は、この式辞のインスピレーションは下の校長室最大の日本画から得たのです。

 昭和62年に、創立25周年を記念して、錦丘高校同窓会から寄贈されました。作者は諸君らの大先輩、大正5年に金沢二中卒の日展日本画作家、畠山錦成(はたけやま きんせい)氏。氏の才能は若くして開花、東京美術学校(現東京芸大美術学部)2年次に文展初入選、戦争末期は金沢に疎開し、金沢美術工芸専門学校(現金沢美大)で10年間教授を務めた後、再上京、日展審査員を長らく務めた、日本画会の重鎮。この作品の題名はズバリ「梅花之図」。100号(162×162)の大作で、華やかさにはやや欠けているものの、上へ伸びようとする無数の梅花と枝ぶりの生命力、後方のかすれぎみに描かれているが、しっかりとした太い幹などまさに本校生徒不変の特質を表現しているなあ、などと毎日見とれています。来客の際は、この絵をバックにしてお迎えするようにしています。「校長室の顔」とでもいうべき絵です。学校再開の際は、是非、鑑賞に来てください!

 ではでは、今日はこの辺で。CU ASAP!