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蒼頡は鳥の足跡で文字を創ったそうだ(校長日記)

計画訪問が終わりました 

 おはようございます。今日はやや遅めの更新です。

 気持ちの良い秋晴れですね。

 今日も一日いい日でありますように。

 昨日の計画訪問は県教育委員会、小松教育事務所、市教育委員会そして、市内小中学校で希望のあったの先生方をお招きし、公開授業並びに研究授業を実施し、恙無く終了しました。

 全教職員が「委ねる授業」にチャレンジするということで、それぞれが工夫を凝らし、授業公開できました。ここに至るまでに、小松教育事務所、市教育委員会の指導主事の皆さんにはいろいろとご助言・ご指導をいただきました。改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

 さて、私個人の考えなのですが、「委ねる授業」を展開するにあたって、「委ねる」ためにはまず第一に生徒たちを信じなければなりません。したがって教育は「性善説」の立場をとらなければならない。「性悪説」では本当の「委ねる授業」は成立しないと思っています。

 生徒に委ねるということは、生徒ひとり一人を信じなければなりません。そして一人一人の生徒の良いところを「引き出す」教え込むのではなく、引き出してあげる。これが教師の役目であると考えます。

 そして、授業改善についてですが、島宗先生の「インストラクショナルデザイン17の鉄則」の鉄則12「学び手は常に正しいとする視点」を自覚しなければ、授業改善は進まないとも考えています。これがないと改善するどころか、「個人攻撃の罠」に陥ってしまいます。

 学び手が学ばないのは「生徒が悪い」とか「教師としての力が無い」というように、それを個人の能力や性格、やる気などのせいにしてしまい、根本的な問題解決に向かわないことを島宗氏は「個人攻撃の罠」と呼んでいます。これは教師あるあるです。

 ではなくて、「学び手が学ばないのは、学び手(又は自分自身)に責任転嫁するのではなく、教え手側に工夫の余地を探して改善する」これが授業改善につながるのです。

 計画訪問では、本校教師も「学び手」として助言・指導をいただきました。管理職として教職員一人ひとりの学びを見取り、「学び手は常に正しい」という視点を忘れず、今後の人材育成、学校全体での授業改善につなげていきたいと思います。

 常に学び続けることを忘れずに。

 ありがとうございました。

不得正師不如不学

『正師を得ずんば、学ばざるに如(し)かず。』

 学道用心集(五)より

「がんばろう のと がんばろう いしかわ」

ワクワクを楽しもう

今日も楽しく一生懸命