蒼頡は鳥の足跡で文字を創ったそうだ(校長日記)
三つ目の顔
おはようございます。今朝は自宅前にうっすらと雪が積もっていました。天気予報が当たりました。ぐっと冷え込んでいますので、くれぐれも気を付けてください。
今日も一日いい日でありますように。
わかりますか? 今も雪がちらついています。校長室は暖房の工事中のため、寒冷地仕様の装備が必要です。
いよいよ明日に迫りました。防災フェスタ.jpg防災フェスタin KINJYO。総合的な学習の時間で探究学習に取り組んできた成果のお披露目となります。今回は午後からの講演会で、気象庁大阪管区気象台予報課予報官の南出寛人氏をお招きし、『自然災害から命を守るために~いざというときに、正しい判断を~』と題してお話を伺います。
能登半島地震、能登半島豪雨からはや2年が経とうとしています。甚大な被害を受けた能登在住の方には忘れることができない出来事だったと思います。同じ石川県に住んでいる私たちも同様、決して忘れてはいけない出来事です。災害はいつどこでどのような形で訪れるか、誰も知ることができません。ですからいざというときの判断や行動がとれるように準備・学習しておくことが必要です。そして、そのいざという場面に出くわしたときにどう行動できるかがとても重要になります。
平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災で、家も財産も失った人の中に「古市忠夫」さんという方がいらっしゃいます。『還暦ルーキー60歳でプロゴルファー』という著書のモデル、その著書は『ありがとう』という映画にもなりました。その古市忠夫さんが自分の被災経験の中で「3つの人の顔を見た」と言っています。
『一つ目はいつも偉そうなことを言ってる割に、パニック状態になったらまず自分の着るものとか、食べ物とか、自分の飲むものとかをかき集める本当にいやらしい顔。二つ目は茫然自失として全く気力をなくしてしまった、ほとんど無表情に近いような、もう何もできなくなってしまった顔。三つ目は日ごろは静かにしているような人なのに、人のために全力を尽くして働く顔。あのような状況になるとでるんですよ。それで自分は3つ目の顔で生きたいと思ったんですよ。・・・・』
古市忠夫さんはその時、自分は三つ目の顔で生きようと思ったそうです。それからは住まいのある神戸市長田区の区間整理事業に大反対されながらも先導者として推進しました。満6年かけて再建した後、奇跡的に焼けずに残っていた自分の車のトランクに愛用ゴルフバックがあることを知り、「神様がこいつで生活せいと、残してくれたんや。」とビビッと感じて、「自分の復興」を目指しプロゴルファーとなりました。
人はそれぞれの思いや考えがあります。どれも否定はしませんが、私はどんな究極の状況でも古市忠夫さんのように三つ目の顔で生きる人が増えてほしいと思っています。
明日が三つ目の顔で生きる生徒がたくさん生まれる日となればうれしいです。
日に新た。Let's Begin!
みんなで創る、みんなの学校
今日も楽しく一生懸命
BE THE PLAYER
BE THE DREAMER