教職員のつぶやき。 ー 本校の教職員全員が、週一回、リレー形式で、つぶやきます。

教職員のつぶやき。

?! 金沢向陽高校の不思議part1

こんな場所をご存じでしょうか。見たことある人もいるでしょう。

「階段室」

どんな部屋なんでしょう。長い階段が続いているのでしょうか?長い階段を上ったら、絶景が見えるかもしれません。それとも、どこに行くかわからない階段がいくつもあるかもしれません。うーん、いったいどんな部屋なのでしょう。不思議です。

もう一つ不思議・・・

この部屋に入るための扉がどこにもないんですよ。ますますどんな部屋なのか、想像が膨らみます。

 

金沢向陽高校の不思議part1( ^ω^)・・・でした。見たことない人は、校舎の中を探してみてください!

 

 

期待・ワクワク 北信越大会に向けて、親の祈り

   5月下旬から6月上旬にかけて、県高校総体が開催されました。個人的にも高3の子を持つ親として、3年間の集大成となる試合にドキドキな気持ちで送り出しました。

 本校からは出場の無い競技だったこともあり、試合会場である石川県立武道館弓道場に応援に駆け付けた時は、団体予選、個人予選はともに終了、団体準決勝で敗退したチームも帰りかけている頃でした。

 射場を見ると、ちょうど上位5校による決勝リーグ戦が開始されたところで、娘のチームがいました。観覧席の人波をかき分けて居場所を確保し、その後はずっとその場から、チームの一射一射を、祈るような思いで見守りました。結果は団体3位、個人5位。インターハイ出場は逃しましたが、見事北信越大会への切符を手に入れました。

 北信越大会弓道競技は、次の土日に長野市で行われます。この大会が最後の試合となるので、しっかり応援してきたいと思います。ただし自分はひたすら祈るだけの応援になりそうです。

 本校から北信越大会に出場するバドミントン部、アーチェリー部のみなさん、会場は離れていますが応援しています。みなさんの健闘と幸運をお祈りします!

音楽 趣味のお話

 ラヴェル作曲の「ボレロ」は,きっとどこかで耳にしたことがあるでしょう。これを読んでいるそこのあなた! 一度「ボレロ」と検索して初めの30秒ほどを聞いてみてください。

 ね,聞いたことがあったでしょう? この曲ではこの1つのフレーズがずっと繰り返されていきます。それだけ聞くと何も面白みのない曲のような感じがしてしまいますが,もちろんそんなことはありません。フレーズが繰り返されるたびに聞こえてくる楽器が変わるのです。そして,演奏する人数も変わっていきます。

 私はこの曲を国づくりみたいな曲だなと思います。「一人から始まって仲間が集まってきて,村や町ができて国になる。そして最後には全員で大団円を迎える」という素敵なストーリーを思い浮かべながら聞いてみると,とても感動的な曲だと思えてくるのです。

 さて,これから「ボレロ」の最重要楽器であるスネアドラムについてもお話ししたいところなのですが,長くなってしまうので,これで終わりにしたいと思います。お読みいただきありがとうございました。

 

 P.S. 私は音楽の教員ではなく,数学を教えています...。

晴れ 今年も暑い夏がやってきます。

 石川県出身の大の里関が記録づくしで優勝をはたしました。テレビで見ていて圧倒的な強さを発揮し、ふるさと石川に勇気と感動を与えました。そして、今年1号の台風も発生し、気温も30度に迫るような暑さで、そろそろ熱中症対策をしなければいけないと思う今日この頃です。

 ニュースでは今年も昨年のように暑くなるとも言われ、去年よりさらに暑くなると予想されており考えるとぞっとします。そのまえに、ジメジメした梅雨の季節。暑くてジメジメ。耐えられるかなぁと心配しています。水分補給に食べ物の保管方法などたくさん考えなければなりません。

 そして、生徒の皆さんは期末試験など毎日考えなければならないことが多いですね。その前に、県の高校総体・総文も始まります。3年生は今までの成果が発揮されるように、暑さに負けず体調を整えてそれぞれの場所で活躍してください。私も水分の摂りすぎや涼しい場所にずっといるなどやめて、夏に勝つ身体をつくらないと。皆さんに負けずに頑張りますヨ。

眼鏡 「自ら」学ぶ?

 本校に赴任して、はや2カ月が経とうとしています。日々感じるのは、向陽生は身をもって校訓を表そうとしているということ。「自ら」学ぶ。自学。定期的に生徒議会を開いて議論したり、生徒会が自主的に動いてルールをつくったり。結果として自分たちのやりたいことをやれたり。上級生は遠足でスマホを使用できましたもんね。自分たちで考えて、行動する。それを見えるかたちで残す。本当にすごい!と思います。

 ちょっと立ち止まって考えてみると…「自分たちで」って一体どういうことなのでしょうか…なぜ議論したり、ルールをつくったりするのでしょう。スマホを使いたいから?それだと、「〜したい」という欲求に自分たちの行動が支配されている気がします。自分たち「だけ」で動いたことにならないですよね。自分たちだけじゃなく「欲求」という存在があって、自分たちは動かされている。欲求が自分たちを操っているような…じゃあ一体どうすればいいのでしょうか…

 まずは、自分たちは欲求に操られているかも…という視点に「気づく」必要があると思います。私自身も反省する点は多いのですが、そういう「自分の視点とは異なる視点の気づき」を積み重ねていけば、より良い「自分たちで」を、体現できるかもしれませんね。