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ほりほりの部屋Vol.94「27年前の出来事~いくつもの悲しみを越えて~」

 皆さん、こんにちは。堀です。今朝は冷え込んだね~。幸い、さほど積もらず、みんな、なんとか登校できそうなカンジの朝でした。錦の前庭にも、フカフカの雪がこんもりと。極寒にも負けず~~~GAT!

 本校自慢のSPs(Silent Partners:物言わぬ同伴者・縁の下の力持ち)、こちらから頼んだわけではないのに、諸君が敷地内を登校しやすいよう、歩きやすいよう、早朝、さーっと除雪してくれていました。本当にありがとうございます、先生方!また、本日、除雪当番のクラスの諸君、ご苦労様でした!みんなのおかげで、靴が濡れずに済みました。コケずに済みました。これからもよろしくお願いいたします。

 27年前の1月17日、月曜の朝、金沢でも揺れました。生後1年になろうとしていた末娘(本校卒・錦中3期生)に覆い被さり、4歳・7歳の長女・長男に布団で頭をかばうよう、大声を出し・・・阪神淡路地区を未曾有の巨大地震が襲った瞬間でした。

 この時、堀は泉丘高勤務1年目で1年生の担任(本校の保健体育・陸上部の宮〇先生も受け持ち)でした。3年生はセンター試験の自己採点の日ということもあり、みんなの出来がどうだったか、気に掛けていた矢先の大地震でした。当時、石川県には地震による直接の被害はなかったのですが、程なく、県関係者の不幸が伝わってくることとなります。ある3年生のお兄さんが神戸の下宿先で犠牲になったとの一報。それだけでも受験生には大きなショックですが、この報道に絡んで、お母さんが悲しみの余り自ら・・・極めて短い間に、身近な親族を次々と失うこととなった受験生・・・しかし、ホーム担任の懸命の声かけやら、学校を挙げてのサポートやらもあり、第1志望の大学を見事に突破。悲しみを越えて、自己実現に邁進した生徒がいました。あの強さ・たくましさには驚嘆しかありませんでした。

 この年、関西地区の受験動向に大きな変化が起きました。医学・看護学をはじめとする医療系への進学者が激増したのです。震災で教科書・辞書・参考書・問題集など、あらゆるものを失い、筆記用具すらない避難所暮らしを強いられた受験生たちの心を動かしたのは、他でもない、自分たちの身近で献身的に働く医療関係者の姿そのものだったのです。偏差値だけでは計れない、大きなモチベーションが産まれたことは想像に難くありません。昨年から今年にかけて、医療関係者の仕事に強く惹きつけられている高校3年生が、本校のみならず、全国的に増加している現象は、あの震災時と似たようなモチベーションが関係しているような気がしてなりません。諸君らにも、「なりたい自分」を、崇高な志望動機を、最後まで貫いて欲しい、と願わずにはいられません。

 また、泉丘に赴任したこの年は、「来年の韓国修学旅行の助言もらいに、広島の盈進(えいしん)高校行くぞ。堀さん、オレと一緒に行こう。」加藤1年学年主任(病に倒れ修学旅行引率できず。故人・・・涙)からお声を掛けていただいた年でもありました。震災の約4週間後の2月14日、2人で鉄路、広島に向かいました。途中、いまだ、がれきの山の神戸市内を徒歩で横断(学校という学校のグラウンドは全てテント村・・・涙)し、丸1日かけて。「あなた方は何のために韓国へ行くのですか?ロッテワールドで何を学ぶというのですか?」訪問先の校長先生からのコトバは衝撃的でした。「独立記念館を訪れずして、日本の高校生が訪韓する意義はありませんよ。」金沢に戻り、取り急ぎ、旅程及び事前学習の内容を大幅修正。翌年、本県初400人規模の海外修学旅行実施へとつながります。その後しばらく、あの旅行プランが本県の韓国修学旅行のプロトタイプとして定着。次に赴任する錦丘でも、学校初の海外修学旅行プラン策定に深く関わることになります。

 当時、錦中と連携して作り上げた修学旅行は、「日本と東アジアの友好」を軸にしていました。中学では、まず、北九州へ行き、漢委奴国王の印などに触れ、日本と韓半島や中国との関係性に思いを馳せます。太古の人々の航路を模して、フェリーで瀬戸内海を東進し、大阪南港より関西に上陸。その後、奈良(「ナラ」という音は、ハングルでは「都」の意。「奈良」は表音文字表記、表意にあらず。)に向かい、仏像や寺院から大陸との交流を想像します。高校では、釜山の古墳公園で、日本では直接入ることのできない古墳内部を体験するなど、日本との太古からの深い関係性を実体験します。日本と韓国・北朝鮮との長きにわたる、友好的関係が、近現代に入ると、激変していく様、特に、大戦時の日本が韓半島の人々に行った、目を背けたくなる差別的言動の数々を、独立記念館で学びます。その上で、同年代の韓国の高校生との直接交流会に臨ませる。若い者同士は、反日感情とか、嫌韓感情とか、全く無関係で、出会って数分で、ものの見事に、お話しを、交流を始めます!つたない英語と懸命のジェスチャーを駆使して!あの時の感動といったら!!生涯忘れることができない瞬間!!互いの(幸も不幸も)歴史をしっかり学んだ上で、「今」を生きるもの同士の、未来指向の直接交流!!これからの国際化時代を生き抜く若者たちには是非とも経験させたい瞬間です。本県における、海外修学旅行の端緒もまた、元を正せば、27年前だったのです。

 数年間、順調に経験を積んでいた矢先、錦中3期生が高校2年生の頃、今と似たような感染症(サーズ)の大流行により、本校の海外修学旅行が中止、国内修学旅行(北海道)へ変更となります。それ以来、本校では、海外修学旅行が実施されることなく、現在に至っています。ねらいを修正しつつ、錦丘の海外修学旅行復活を試みてきた3年間でしたが、コロナの壁を越えることはできませんでした。「種」は蒔いていきます。後は、後任の校長、そして、来年度以降の教職員諸君に託します。錦生諸君が、世界に「トビタテ」るきっかけとなるよう、サポートをよろしくお願いいたします。もちろん、世界がコロナを克服している、ということが大前提であることは言うまでもありません!実現するような日が来れば、堀も私費で、同日程で、「その地」に行こうかな?!邪魔はしませんので。それくらい、夢見てもいいですか、ね?英語を駆使しながら、異国の学生と懸命にコミュニケーションしようとする、錦生の姿。それを目撃できたら、もう思い残すことはありません。

 Boys & girls! Be GLOBAL, ACADEMIC and TOUGH!!

堀が諸君に望む、「もうひとつのGAT」がこれです。「元気で、明るく、たくましく!」生きることを前提としつつ、‘global’(地球規模で考え)、‘academic’(学問を突き詰め)、‘tough’(あきらめない)、そんな生き方を貫いて欲しいと強く強く願っています。ではでは。今日はこの辺で。CU ASAP!

P.S.先日、「バナナマンのせっかくグルメ」という番組で、「せっかく富山市来たんやから、『糸庄』の『もつ煮込みうどん』食べてかれ~」って紹介されていました。それも若き4人組に!Native Toyamanとしては、嬉しい限りでした。冬はもう、just on seasonという感じですが、夏、汗かきかき、ほうばるもつ煮込みやあの氷見うどんも捨てがたいのです。金沢からもけっこう近いし、ドライブがてら、保護者の方々と行かれては?オススメ。元富山県人としては、東の『糸庄』と並び称されるのが、西の『吉宗』!!我が故郷、高岡市中心部、市民病院ヨコにある、「カレーうどん」の名店!実は先日、食べてきましたぁ~、久々に。高校時代から40年以上食べ続けてます(高岡高校にも近いんで)。たまご入り、にして、小ライスも。ぶっとい手打ちうどん、独特の濃厚なルー(隠し味にナッツが大量に投入されているらしい)と、ごろごろ入ってる鶏肉。ん~たまりませんねえ。『糸庄』以上に金沢寄りなので、是非是非!オススメ。駐車場いっぱいの際、市民病院駐車場に止めている人もいるやに。「せっかく高岡市来たんやから、『吉宗』の『カレーうどん』食べてかれ~」。いとしょうも、よしむねも、どちらも行列必至。覚悟の上、ご来店を。(予約不可)