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ほりほりの部屋Vol.100「『錦』で学んだ先生方へ~ぶれてはいけない『軸』のごときもの~」

 皆さん、こんにちは。堀です。2年前の4月中旬、一斉休校のまっただ中、生徒を励まし、生徒にメッセージを発し、生徒との繋がりを持ちたくて始めた「ほりほりの部屋」。コロナ禍が明けたら、即、止めるつもりでしたが・・・本日、Vol.100・・・いまだ、コロナ禍のクリアな出口は見通せてはいませんが、これで最終回とします。お読みいただいた方々、全員に感謝感謝です。掲載する前にいったんワードファイルに書き込むのですが、タイトルも含めて、207,000字を越えました。(軽く原稿用紙500枚越え。これ、本にできるんちゃう?!)今後、堀は学校現場から距離を置きますが、生徒諸君!保護者の方々!!そして、先生方!!!本当にお世話になりました!ありがとうございました!!どうかどうか、お元気で!!! GATで~~~!!!!!

 もう生徒への退任式あいさつ(ライブ?)も終わったということもあり、最終回は「錦」で共に学んだ先生方へのメッセージとさせていただきます。生徒諸君・保護者のみなさんも、今後の「錦」の方向性に関する、堀からの「種まき」であり「遺言(?)」めいたものだとお考えの上、(ちょっとお堅い論調・書きぶりですが)お読みいただければ、と思います。

 

*「錦」で学んだ先生方へ~ぶれてはいけない「軸」のごときもの~

 「こどもたちが、これからの先行き不透明な時代を生き抜くために、多様な他者と主体的に協働する力をいかに育てるか」これがここ数年、文科省が言うところの教育改革にまつわる議論の中心であった。

 一方で、教育におけるICT化の流れは、タブレット端末の活用やそこへの移行期に現れたBYODといった次元から、1人1台Chromebook無償貸与というところにまで、一気に向かっている。皮肉にも、コロナ禍のおかげで、「先行き不透明な時代」が、目前にあぶりだされ、必要経費・予算という最大の問題点ですら、国家レベルであっさりとブレイクスルーすることとなった。教師がICTをいかに上手く使って一斉授業をするかという、教師を中心に据えた、従来の「先生の教え方」から、生徒1人1人がICTをいかに主体的に使って学んでいくかという、新たな「生徒の学び方」へ、焦点は完全に移行しつつあるように思われる。コロナ禍に乗っかって、日本という国は、壮大な社会実験を開始したかのようにさえ、私には思われる。

 私は批判しているのではない。教育は常に、「今」を生きているこどもたちが、「将来」も生き抜いていくために、社会が必要としている「力」をつけさせることこそが、その責務であると信じている。仮に、社会がTOEICスコアを求めるのなら、「読む力・書く力」に加え「聴く力・話す力」も加えた4技能統合型の学力をつけさせる方法を追求し、そこへの興味・関心を植え付けることこそが英語の教員に課せられた、真の責務である。大学入試に対応した学力だけで良いというのは暴論である。仮に、社会がコミュニケーション力を求めているのなら、教師と生徒、あるいは生徒同士の意見交換やコトバのキャッチボールを誘発する指示・発問の追求やそういう場の創出に腐心することこそが、教科を越えてあらゆる教員に課せられた、真の責務である。授業中ずっと、年がら年中、教師が一方的にしゃべり倒し、ペーパーテストの点数が悪いからという理由だけで赤点を出すような教師は、少なくとも、「錦」には不要である。

 私はこの実験をこどもたちのためにどう活かしていくか、が大切だと思う。教育の根幹を忘れてはいけない、と思う。敗戦後、天然資源を持たない、小さな島国、日本が奇跡的な経済発展を遂げた最大の理由が教育であることを再認識すべきである。戦後、先人たちが試行錯誤しながら培ってきた「学校」の持つ「力」、空間としての「仲間集団の持つ相互教育力」とでも言うべき力の意義と有効性を忘れてはいけない。こどもたちは、人の間でこそ人となる。お互い、刺激を受け、高め合う。教育のフィールドにおいては、「デジタル」は手段に過ぎない。ツールにすぎないものを目的とすべきではない。

 では、教育の目的とは何か。私は「(個人の)成長」だと思う。何らかの働きかけをしても、すぐに数値化された「(全体の)成果」が出るわけではないし、場合によっては、全く逆の「成果」が出ることさえあるのが教育の本質だと思う。この本質を全教員が認識した上で、様々な「改革」「改善」に取り組まなければ、本末転倒になり、つまりは、即効的に「(全体の)成果」をあげることを目的とする、「手段の目的化」に陥ってしまうのである。国公立大学入学者数を目標数値化するがごとく・・・

 私は、迷ったときには、必ずこの原点に還って、この物さしで計り直すことで自問自答してきた。「このことは、こども1人1人、個々の成長につながっているのか?全体の成果に囚われていないか?」と。教育が大事にしているのは、「(全体の)成果」よりも、「(個人の)成長」であることを再確認した上で、「アナログ(対面式授業)」と「デジタル(ICT活用型授業)」をいかに融合させていくか。今後数年間、試行錯誤の連続が予想される。しかし、「錦」の先生方なら、このスタッフと風土なら、血を入れ替えつつも、「なりたい自分」を追求させつつ、「個々の成長」を促す、本校独自の「学ばせ方」を開発していってくれる、上手い落としどころ、ハイブリッドな方策を見つけてくれる、そう確信している。任せたよ。

*校長として心がけてきたもの~校務分掌として、校長を演じる、ということ~

①  現状認識と目標(わかりやすいビジョン)を、全教員と共有すること

「そもそも」にズレが生じていると誰もついてきてはくれない。教員との対話は言うまでもないが、生徒や保護者、地域住民の方々の懐に飛び込まずして、ニーズや不平・不満、ひいては本当の強みも知れることはない。悪しき現状なら、それを打破する、具体的方策につながる、シンプルでわかりやすいコトバで浸透を図る。校長が実践の先陣を切ることは言うまでもない。

②  ポジ・ネガ、様々な情報を、全教員と即時共有すること

必要な情報が、血液のようにサラサラと組織内を流れ、即時、共有されていれば、互いに疑心暗鬼に陥ることはない。教員は日々刻々と変わるこどもおよびその保護者の情報を持ち、校長は国や県教委をはじめ、保護者・地域住民・同窓会等の外部から情報も入ってくる。「職員室の担任」たる、副校長・教頭からの情報を得つつ、校長の知り得た情報に加え、校長の判断・考えを、積極的に発信し、できるだけ早く、全教員で共有することは極めて重要である。勤務校内での出来事について、外部から知らされることほどつらいことはない。「良い(ポジティブな)情報」も「悪い(ネガティブな)情報」も、まず当事者に近い者から知るべきである。「風通しの良い職場」作りは、口で言うほど簡単ではないが、心理的な壁を取り払い、なんでも相談できる雰囲気作りは、校長という校務分掌において、大切な役割である。

③  多様性を認めながら、一体感を目指すということ

ベストな解決策を見つけるために多様性は重要である。同時に、何を議論しているのか、という「そもそも」の論点コントロールも必要不可欠な校長の立ち位置である。「一体感」というコトバから、「みな、同じ」という状況を思い浮かべがちだが、そうではない。同じ現状認識・問題意識を持って同じ方向を向いているけれども、その解決に向かう方法論においては実は多様だということである。多様性を互いに認め合えるしなやかさがあり、それでいて一体感がある組織は強い。「錦」は今、ずいぶん、このしなやかさと一体感が醸成されてきているなあ、と感じている。管理職を含め、少々の人事異動では、びくともしない「軸」のようなものができつつあるのではないだろうか。(とある組織マネジメントのプロの話によれば、こういった一体感醸成に必須なのが、トップの人柄、具体的には、器の大きさ・教養の深さ・ユーモアのセンス・・・とのこと・・・先天的に欠く場合は?私なりの答えは「演じる」こと。なければ、あるかのように演じるまで。小さな器を、実際より大きく大きく。浅はかな教養しか無ければ、読書等を通じて、深くなるよう深くなるよう。どんなシリアスな場面に遭遇しても、最後はクスッとさせるため、映画館のみならず、なんばグランド花月に足繁く通い、笑いの神を呼び寄せる。悲しくも、楽しい自助努力。もう不要ですね、ほっとします。さみしくなるかな?)

④  ピンチ待ち、GATで、腹くくる!(おっ、5・7・5やん)ということ

ピンチは必ず来る。全て順調にいくはずがない。突然、壁は現れる。実は、その時こそが、信頼を得るチャンス!ピンチが来るのをビクビクするのではなく、ワクワクしながら迎い入れる!ようこそ、ピンチさん、よくぞ、我々の元へ!くらいの感覚でい続ける!!!

GATを見せ続ける。肩書きに頼らない(利用はする、こどもたちのためなら。)。外部からの評価を気にしない。評価の主体はこどもたち。常に元気で、明るく、たくましく!を体現し続ける。暗い顔は、こどもの前では見せないよう。いつもニコニコ、笑っている!!!

腹をくくる。心にいつも辞表を。判断が難しい場面、決断が鈍る場面は必ず来る。一部の者にとっては最適(部分最適)な方策であっても、それが全体にとっての最適(全体最適)な方策になるとは限らない。しかし、このことこそが、教育の難しさそのものであって、醍醐味である。落としどころを見極め、いったん自身が腹をくくって判断したことには謎の(?)自信を持つ!!!

 

 「もう一つのGAT(global, academic, tough)」発動には至りませんでしたが、縁あって皆さんと過ごした3年間、楽しかったです。お体には、くれぐれも気をつけてお過ごしください。赴任した年、若い教員たちの複数のグループとの不定期飲みニケーションに数多くお誘いいただき、語り合いましたっけ・・・なつかしい・・・楽しかったなぁ。この2年間、飲んで、ホンネで語り合うという場面がほとんど無くなってしまったことが残念でなりません。もっともっと、伝えたいことが山ほどあるのですが・・・残り1週間、コロナ禍でも許される、小さな飲み会、毎日でもお誘いください。待ってます。ではでは、今日はこの辺で。皆さん、さようなら。

P.S.

最後のぼっちめし!ありがとうございました。了。

P.P.S.

「ほりほりの部屋」のワードファイル(HPに掲載前原稿なので、HPに発表した文章と異なる部分多々あり)を、この後、shareの「R報告」にしばし置いておきます。必要なら、吸い上げてください。教員にとって、コトバ・ボキャブラリーは必須アイテム。使えそうなコトバ・表現、あれば、存分に盗んで自分のものにしていってください。著作権は放棄します。