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ほりほりの部屋Vol.99「退任の春~なにもかもがなつかしく・・・~」

 皆さん、こんにちは。堀です。この春、退任する県立学校長の1人として報道されました。解放されるので、うれしいような・・・若者たちと会えなくなるので、さみしいような・・・以下に本県の高校校長会の「会誌」に投稿した文章を活用し、ダイジェストで、超特急で、堀の37年間の教員生活を振り返ってみます!GAT!

思ひ出の数々

金沢錦丘高等学校長 堀 義明

 「ない!ない!どこにもな~い!」大学卒業年3月24日の北國新聞本社前に張り出された夕刊。定期人事異動ページで「新採」に自分の名前が見当たらない。「A採なんに・・・もしや、第1希望の中学校ではなく第2希望の小学校かも。」もう1度、南から小学校をくまなく探す。「あれ~、ない・・・」まさか・・・高校欄を大聖寺実業から探し始めるとほどなく・・・「あ、あった!小松商業・・・なぜに高校??」願書に希望を記載せず、面接で尋ねられもしなかった校種。定年の今になっても謎です。WHY?石川県教委殿!

 小松商での一場面。「4番サード宮窪君(現小商進路課長)、4番サード宮窪君。職員室堀まで。」とウグイス嬢ばりに校内放送。直後、教務主任の先生から「ふざけた放送するんじゃないっ!」と大目玉。思い返せば、あれが「ふざけた37年」の始まりでした。

 新設の金沢辰巳丘での一場面。3期生を3年間持ち上がった際、卒業式の日にある女子生徒2人から。「3年間、ありがとうございました。結局、堀さん(当時から「卒業したら『先生』とは呼ぶな。『さん』と呼べ。」と教え子には言い続けていました。)は、『善人ぶった悪人』なのか、『悪人ぶった善人』なのか、最後まで分かりませんでした。本当はどっちなんですか?」「ほりほり(辰巳丘赴任1年目につけられたニックネーム。)のおかげで、英語が好きなままでいられました。本当にありがとうございました!」最初のコトバは、自分の教員生活を貫く哲学となりました。次の金沢泉丘で出会い、多大な影響を受ける事になる、梶本逸子大先生のコトバ「教員は役者なのよ~ん。Teachers should be actors AND actresses!」にも通じます。見破られるようでは大根役者なのでしょう。2つ目のコトバは、「教科でも、部活でも、『好きにさせたら(好きなままでいさせたら)』、こどもは勝手に走って行く」ことに確信を与えてくれました。あの日、職員室までわざわざ伝えに来てくれたあの子たちの表情まで思い出せるくらい、鮮烈なインパクトがある、堀にとっては「褒めコトバ」でした。お2人さん、ありがとう!

 創立101年目から109年目まで勤務した金沢泉丘は、自身のキャリアとして最も長く、かつ、波瀾万丈の9年間でした。3年生の担任4回を含め、9回のホーム担任は思い出深い学年ばかりです。教員生活10年目から18年目、気力・体力・生意気MAXで、怖いもの知らず。思い出すのもハズい、9年でもあります。<男子バド部監督として、根上大会2年連続準優勝(相手はいずれも金沢市工)。団体で北信越大会にも出場しました。日々、ノックに明け暮れ、選手と野田山まで走っていたのもこの頃(含:本校おはら先生)。なつかしい・・・>

 赴任した年、「来年の韓国修学旅行の助言もらいに、広島の盈進(えいしん)高校行くぞ。堀さん、オレと一緒に行こう。」当時の加藤1年学年主任(病に倒れ修学旅行引率できず。故人、涙。)からお声を掛けていただきました。翌年2月14日、2人で鉄路、広島に向かいました。途中、がれきの山の神戸市内を徒歩で横断し、丸1日かけて。「あなた方は何のために韓国へ行くのですか?ロッテワールドで何を学ぶというのですか?」訪問先の校長先生からのコトバは衝撃的でした。「独立記念館を訪れずして、日本の高校生が訪韓する意義はありませんよ。」金沢に戻り、取り急ぎ、旅程及び事前学習の内容を大幅修正。翌年、本県初400人規模の海外修学旅行実施へとつながります。その後しばらく、あの旅行プランが本県の韓国修学旅行のプロトタイプとして定着。次の金沢錦丘でも、初の海外(韓国)修学旅行プラン策定・実施に深く関わることになります。

 泉丘勤務最終年の1月中旬。新聞の大見出しに、「来春、初の県立中学校誕生」。教採の頃のくすぶっていた思いが、校長室へと走らせました。「〇村校長先生!私を錦丘へ異動させてください!」「はぁ?こんな素晴らしい教員、生徒に恵まれとって、何が不満なんや!」「不満はありません。ただ・・・飽きました。」「ばかもーん!」またしても、ふざけた一言・・・やっちゃった・・・で、異動。

 金沢錦丘での4年間は、「中高6年を貫く独自教科(教材)の作成」「キャリア教育をベースにした、全く新しいコンセプトの学校の創造」を前面に出し、超多忙な中ではありました。一方で、日々、「やりがい」を感じながら過ごすことができました。高校生と同時併行して中学生にも3年間教え、夢かないました。ALTも演じきりました。

 金沢二水での「オレンジパワー全開の3年生」と過ごした充実の2年間、教育センターでの「英語中核教員研修」をはじめとする、小・中・高・特支全ての校種の「先生方への種まき」に奔走した6年間、内灘での「地域からの信頼回復」に全力で取り組んだ4年間を経て今、教員生活最後の3年間を、再び、この錦丘で全うすることができ、こんな幸せなことはありません。コロナ禍で実現できずに終わった「海外修学旅行の復活」は、(今しばらく時間がかかるかも知れませんが)後任に託していきます。こどもたちが世界へ「トビタテ」るよう、サポートをよろしくお願いします。ここまで支えてくださった全ての方々に感謝申し上げ、筆を置きます。合掌。

 今となっては、いろんな教え子たちと過ごした日々、その全てが、ただひたすら、懐かしく感じられます。諸先輩方からの叱咤ですら、面白おかしく感じられる今日この頃です。

 次回いよいよ、何とビックリ!「Vol.100」!キリの良いところで、最終回とします。3月24日、夕方頃の掲載を予定しています。ではでは。今日はこの辺で。CU on THE day!