沿革

         石 川 県 理 科 教 育 の 沿 革 (概要)
                                 -県理科協会 県理科教育研究協議会 県科学教育振興会-

昭和22年 文部省から補助金を受ける(全国22県)。

                     郡市科学研究団体代表が集い、10余名が「石川県理科協会」を発足させる。

                    全県の同志に呼びかけ指導者養成、講習会等の事業を展開する。

昭和24年 文部省の補助金が打ち切られる。

                     官制であった「石川県理科協会」は同好会として自力で事業を継続する。
      一方「石川県理科協会」は理科教育研究協議会設立に向けて動き出す。

昭和33年 各郡市研究団体の負担金を資金源とし、郡市の会長や幹事を役員とした

                    「石川県理科教育研究協議会」が発足する。

                    「石川県理科協会」は、県下理科教育を側面から支える支柱的存在として存続する。

昭和35年 高等学校の参加を得て「小・中・高をつなぐ理科教育 石川県理科教育研究協議会」が

                      発足する。

昭和38年 文部省の設置認可を得て、現金沢二水高等学校敷地内に「石川県理科教育センター」が

                     設立される。 備品もなく、資金確保に奔走する。

同  年    「石川県理科協会」及び「石川県理科教育研究協議会」は産業界、PTA、県に働きかけ、

                     初代会長として  越馬徳治  津田駒工業社長に会長就任を歎願し「石川県科学教育振興会」

                     が設立される。「石川県科学教育振興会」は、「石川県理科教育センター」への援助、

      理科教員の研究奨励 越馬科学賞(現 越馬徳治科学賞)、その他児童生徒科学作品コンク

      ール、各種研究発表会等に助成するなど、石川県理科教育の発展に金銭面から支援を開

      始する。

昭和39年 第1回  石川県理科教育研究大会 金沢大会」が開催される。

 

平成25年 2月 石川県科学教育振興会50周年記念式典が開催される。

平成25年10月 「第50回 石川県理科教育研究大会 金沢大会」開催。
                       石川県理科教育研究大会第50回記念祝賀会が開催される。
令和2年10月 「第57回 石川県理科教育研究大会 川北・能美大会」、新型コロナウィルス感染        

         拡大により参集しての大会を取りやめ、初の紙面開催となる

令和3年10月 「第58回 石川県理科教育研究大会 金沢大会」、新型コロナウィルス感染拡大に

         より参集しての大会を取りやめ、初のWeb及び紙面開催となる。

令和4年10月 「第59回 石川県理科教育研究大会 羽咋大会」、新型コロナウィルス感染拡大に

         より参集しての大会を取りやめ、Web及び紙面開催となる。

 

今後の研究大会の開催予定

令和2年 第57回 能美・川北大会  紙面開催

令和3年 第58回 金沢大会  Web開催

令和4年 第59回 羽咋大会  Web開催

令和5年 第60回 加賀大会  現地開催

令和6年 第61回 七尾・鹿島大会  Web開催

令和7年 第62回 金沢大会