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100周年記念誌

【100周年記念誌】津高探訪[外伝]沿革誌「わが河北台」

本校には「希望の像」のほか、「団結の像」と「伸びゆく若者像」がある。

「団結の像」は正門を入って左側、視聴覚室脇の庭の中にある。設置された日時は不明だが、

『津幡高校50年史』内参考資料の「校舎見取り図」には、既にその存在があるので、昭和48年以前に設置された像である。制作者は倉井外之氏で、本校卒業生でもある。平成6年から10年まで本校で美術教師を務めた。

●「団結の像」

 

 もう一体は「伸びゆく若者像」である。先に紹介した初代「希望の像」が今置かれている同窓会館玄関に、対面で置かれている像である。台座には「陽光」とだけあり、それ以上のことは分からなかったが、『石川県立河北台商業高等学校 沿革誌』(河北台商業高校閉校記念誌)の中にその存在を知ることができた。河北台商業高校玄関を入ったあたりのスペースに設置されていた。制作者は不明だが、記念誌には写真の下に「伸びゆく若者像」とある。閉校時、河北台商業高校の33年間の資料と共に本校にやってきた。資料は特別棟3階の教室(「河商メモリアル」)に保管してある。河北台商業高校は、本校商業科の廃止と共に独立し、本校の総合学科設置(商業系列)に伴い、合併することとなった。

●伸びゆく若者像「陽光」

平成15年3月31日閉校となった「石川県立河北台商業高校」について、触れておきたい。

 沿革誌『わが河北台』(沿革史より)

  昭和45年1月 1日 石川県立津幡高等学校内に石川県立河北台商業高等学校創立

             村 立造(県立津幡高等学校長)校長兼務

       1月14日 設置学科を全日制商業科と決定

       4月 1日 石川県立津幡高等学校内に仮校舎で開校

  昭和46年1月30日 設置学科を商業科、情報処理科と決定

  昭和47年4月 1日 津幡高等学校内の仮校舎から新校舎(河北郡宇ノ気町大崎)に移転

       (中略)

  平成 3年7月 6日 伸びゆく若者像「陽光」設置

       (中略)

  平成15年3月31日 閉校

 

 (ごあいさつ) 16代校長 釜谷直隆

 本校は平成15年3月をもって閉校となり、ここに過去33年の歴史を閉じますが、この間の記録を保存し、河北台商業高校に学んだ卒業生や関わりのあった人たちの心に永遠に残るようにと、沿革誌を発刊する運びとなり、感無量です。(中略)さて、これまでの記念誌に目を通しますと、その時々の特色が分かり、又時代の流れを痛感せざるを得ません。

 昭和45年に高度に発達した社会の要請と期待を背負って新設された草創期の時代から、昭和47年から生徒数が800名を超え、次第に活気に溢れ、施設設備は勿論のこと教育内容の充実や部活動など飛躍的に発展していく時代、特に部活動ではサッカー部が昭和51年度に全国高校サッカー選手権に出場し、石川県勢として初めて1回戦突破、その他ボート部、ソフトテニス部、卓球部がインターハイ出場とめざましい活躍を遂げた時代・・・そして少子高齢化時代を迎えて時代の趨勢で仕方がないのかもしれませんが、平成4年頃から生徒数の減少していく時代、平成8年には情報処理科を情報流通科として改編し、情報機器を中心とした施設設備・内容の充実を図っている中、高等学校再編整備案に基づき、平成13年度より募集停止、そして閉校と変遷を経てきました。(中略)

 最後のこの沿革誌が河北台商業高等学校の33年の歴史と伝統、そして良き思い出としていつまでも皆様の心に生き続けることを願い、また皆様のご尽力のおかげで発刊できましたことに感謝申し上げ、挨拶と致します。

●石川県立河北台商業高等学校(かほく市大崎)

 河北台商業高校は平成27年(2015年)校舎が解体され、今はその姿はない。