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教職員リレーブログ
【教職員リレーブログ】夏の思い出
こんにちは。
夏の思い出ということですが、私の思い出は大阪弾丸旅行です。ずっと行きたかったなんばグランド花月に行ってきました。
前半は吉本興業の芸人さんたちの漫才やコント。笑い飯やジャルジャルなど賞レース常連の人気芸人さんや、トミーズ、月亭八方などのベテランの方々までよりどりみどりでした。どれも面白くまさに抱腹絶倒でした。
後半は新喜劇。遊園地のヒーローショーの内容だったのですが、良かったですね。おちゃらけもありながら多少シリアスもありながら、一辺倒ではない構成で飽きの来ない1時間でした。
やっぱりお笑いは生で見ると、会場の一体感も相まってより楽しいですね。
大変なときでも腹から笑えばストレスも雲散霧消。お笑いには助けられています。芸人さまさまというところですね。
ということで次回の方へのお題は「私のストレス発散法」でお願いします。
お読みいただき、ありがとうございました。
【教職員リレーブログ】夏にやりたかったこと
前回からのお題は「夏休みにやりたいこと」ですが、夏休みが終わってから順番が回ってきてしまったので「夏休みにやりたかったこと」を書いていきたいと思います。
1つ目は新学期の授業の準備です。毎年2学期分の準備をしようと思っているのですが、気づけば夏休みが終わっています。
2つ目は明倫祭でのカラオケの選曲です。選曲が古かったので新しい曲も覚えようと思いました。
3つ目は明倫祭のダンスです。もっとキレキレで踊りたかったです。
書いてみて気づきましたがそれ以外は満足のいく充実した夏を過ごせたように思います。むしろほとんどは直近の明倫祭での後悔でした。
生徒の皆さんの夏休みはどのような夏休みでしたか?しっかり勉強に励んだ人、まだ宿題が終わっていない人、もっと遊べばよかったと思っている人、遊びすぎたと思っている人など思いはそれぞれだと思います。過去を振り返って後悔しても何も現状は変わらないので、「2学期からは頑張るぞ!」と未来に向けて行動を始めましょう。
次のお題は「夏の思い出」にしたいと思います。
【教職員リレーブログ】夏休みにやりたいこと、やらなければいけないこと
40周年の年から数えて、3回目の夏を迎えようとしている。夏にやらなければいけないことが、だんだん夏にやりたいことに変わってきている気がする。その理由は、明倫祭準備前と終了後の生徒会役員の表情の変化にあると最近気が付いた。夏の暑い日、来る日も来る日も明倫祭の準備に追われる。もっと夏休みをエンジョイしたい、と思う。そのときの生徒の表情は欲求不満の気持ちが顔全体に現れている。しかし、明倫祭を終えた後の生徒の表情は、大きな仕事を成し遂げ、言葉に表せないぐらいの達成感が内面に満ちていく感じが顔一杯に現れる。自分では気づかないが大きく成長をとげるのである。
40周年の年は、3つのプロジェクトを立ち上げた。①横断幕、②モザイクアート、③ステンドグラス の3つである。そのときの生徒会役員が素晴らしかったのは、自分で考えたプロジェクトを、一人ひとりが校長先生のまえでプレゼンテーションを堂々と行ったことである。さらに、そのプロジェクトを一番近くで見て、プロジェクトを実行に移す協力をした後輩たちに、「来年はもっと違うプロジェクトをやってみたい」と思わせる種をまいたことである。
昨年は、40周年プロジェクトで唯一実現できなかった「アンブレラスカイ」を実現することができた。横断幕は6mのサイズを9mに進化させた。今年はどんなことを実現させてくれるのか、みなさん、楽しみにしていてください。一番楽しみにしているのは私自身かもしれない。
では、次の方も「この夏にやってみたいこと」でバトンを渡します。
【教職員リレーブログ】夏休みにやりたいこと
野々市明倫高校7年目、数学科の I です。 前回の方からの質問が二つ
一つ目は「教師の3つの J は何でしょうか?」 → 「授業力、情熱、上機嫌」ですね。
自分は個人的に3つの S が大事だと思ってます。 → 「信念、尊重、成長」
教育者としての信念を持ち、生徒一人ひとりを尊重し、生徒とともに成長することが重要だと考えています。
さて本題の二つ目の質問ですが「この夏にやりたいことは何ですか?」
「旅行」ですね。毎年長期休みにはどれだけ遠くても車で、大学見学も含めて旅行に行っています。
昨年のもの(抜粋)を紹介します。
岡山県
デミかつ丼 桃太郎 後楽園
岡山大学
・後楽園の美しさは5歳の息子でもわかるレベルでした。
広島県
原爆ドーム 広島平和記念資料館 厳島神社
広島大学
・原爆の被害がどれほどのものかは現地に行ってはじめて感じることができました。
・厳島神社がある宮島では野生の鹿がふつうに住宅地で生活していました。
山口県
錦帯橋 壇ノ浦 関門海峡
唐戸市場 秋吉台 秋芳洞
瓦そば 明倫学舎 松下村塾
下関市立大学
山口県立大学
山口大学
・本州と九州の距離は実際に歩いてみて始めて近いことを知りました。
・明倫高校のルーツ?かもしれない明倫学舎では歴史を感じることができました。
島根県
石見銀山センター 出雲大社 松江城
島根大学
・松江市は水の都だということを始めて知りました。
実際に現地に行ってみないとわからないことがいっぱいあります。
明倫生の皆さんには是非夏休み何かしらの挑戦やフィールドワークをしてもらいたいと思っています。
ちなみに今年は車で青森、秋田、岩手まで行ってきます。
次の方も同じお題でお願いします。「この夏にやりたいことは何ですか?」
【教職員リレーブログ】授業をやり続けて40年!
明倫高校再任用3年目。数学の教員です。謙虚で優しくしっとり可愛らしい明倫生が好きです。
前回のお題は
「今年,〇〇が△△周年です」といった感じでどうでしょうか。
でした。お答えいたしましょう。
今年、私が教師になって40周年です。授業をずっとやり続けて40周年です。何とかここまで来ました。数学の授業をやり続けてと書かなかったのには理由があります。数学以外の授業をした年もあったからです。50代のときに2年間、野々市市にある明和特別支援学校に勤めました。そのときには1年目は美術の授業、2年目は体育と音楽の授業を担当しました。特別支援学校は初めてだったので、それだけでも右往左往していましたが、授業も数学でなくなり、赴任当初は正直、生きた心地がしませんでした。今となってはいい思い出です。
初任は東京都の練馬区にある東京都立大泉北高校(現在は大泉学園高校と統合して大泉桜高校)でした。最寄り駅は西武池袋線の大泉学園駅です。1年目は西武池袋駅の池袋駅から3つ目の駅の江古田駅から大泉学園駅まで電車で行き、大泉学園駅から自転車に乗って学校に行っていました。2年目と3年目は大泉学園駅の近くのアパートに住み、アパートから自転車で学校に通っていました。生徒は明るく元気でさばさばしていて、数学の授業では私のパフォーマンスによく笑ってくれました。学校生活が楽しかったです。東京の3年間で私の授業スタイルの基盤ができました。恥ずかしながら、40年間、何の成長もなく、今も東京時代の授業とスタイルは変わっていません。
東京で3年間の教師生活を終えて、4年目から石川県で教鞭をとり、現在に至っています。
最後に問題です。ご存知の方も多いと思われますが、みなさんは「教師の3つのJ」をご存知でしょうか。私の授業スタイルにも大いに通ずるものがあります。6月に今後に活躍が期待できる明倫の新採用2名に初任研の一環で話す機会が与えれたときに、2人に強調しました!
1つ目のJは「〇業力のJ」、2つ目のJは「〇熱のJ」です。3つ目のJは「〇機嫌のJ」です。どれも大切ですが、案外、3つ目のJが最も大切かもしれません。毎回の授業で私も大事にしています。
それでは次の方へ私からのお題です。
「教師の3つ目のJ」の〇にはそれぞれ漢字が一字ずつ入ります。「それは何でしょうか?」そして「この夏にやりたいことは何ですか?」