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100周年記念誌

【100周年記念誌】津高探訪⑥「姫小松異変!?」

「姫小松」は平成5年、70周年記念事業による改修工事で今の場所に移植された。

●「姫小松」(生徒玄関グラウンド側) 

 「姫小松」について、『津幡高等学校五十年史』第三部第三節「西教場焼失」には、

 「元高等女学校の校舎の焼失にともなって女学校卒業生の悲しみは人知れず、そのことにより母校への愛着がうす れていくことがあってはと、当時の職員の努力によって何らかの形でそのおもかげを後世へ残そうとする努力が続けられた。校門前の希望の像近くに現在も植えられている松の木は、元津幡高女の校歌に歌い込まれている姫小松であり(女学校通用門右側にあったもの)、当時のなごりを偲ぶことができる。」

      (津幡高等女学校校歌)三番の歌詞

   嵐をしのぎ雪にたへ

   ときわの色の鮮やかに

   のびてやまざる 姫小松

   ああその如くすこやかに

   御代の光のあきらけさ

   学びの園においたたん

 

●「姫小松」 ※女学校跡地からこの場所に移植された。

●昭和62年(1987)玄関改修工事後

  ところが、この「姫小松」に異議を唱えたのが杉本さん(女学校18回卒、同窓会副会長)だった。『同窓会報』(第2号)に「姫小松異変!?」として

 「ここに思いもかけなかったハプニングが起こりました。焼けた旧女学校校舎から、現高校正面に移植されていたはずの姫小松、女学校の思い出を残す者たちにとって唯一無二の姫小松が、何時、何処でどうすれ違ったものか、黒松に変わっていたのです。

  (その後調査したものの)

 「結論として現地で見ていた者の方が・・・・。と云うことになりました。」

 

 とあり、「・・・・」の箇所は不明であるものの、その後にこう続く。

 

「しかし失くなってしまったものは致し方ないことです。間違えられたとしても、現に黒松一本、貝塚息吹。いすのき50本あまりも垣としてのこっております。」

 

 現在の「姫小松」も、かっては女学校にあったものであり、当時の女学校生徒を見守っていた。津幡高校「姫小松」も女学校に続き、津幡高校生徒を見守っている。